史実での加藤清正
永禄5年(西暦1562年)6月24日、尾張国の鍛冶屋・加藤清忠の子として、
尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれる。
天正元年(1573年)近江長浜城主となったばかりの豊臣秀吉に小姓として仕える。
清正は秀吉の遠戚として将来を期待され、秀吉に可愛がられた。清正もこれに応え、生涯忠義を尽くし続けた。
特に賤ヶ岳の戦いで「賤ヶ岳の七本槍」の一人として、その豪傑の名を馳せ 肥後北部を所領としたが、南部の小西行長とは対立が多かった。
文禄元年(1592年)の朝鮮出兵では行長とソウル攻めでの先陣争いをし、朝鮮での虎退治の伝承も有名。
しかし、彼の部隊の進路は敵軍が少なかった辺境で、大きな抵抗を受けずに進軍を続けたため、他の部隊が苦戦していたことを知らされていた日本本国に、清正は虚偽の戦果を報告しているのではという疑惑を持たれ、一時謹慎を受けた。
これが他部隊の小西行長や本国との現地の取次をしていた石田三成への不信の発端になったとされ、以降は彼らとの間に政治対立が起こった(よく彼らの不仲について言及されることは多いが、実はこの時期以前に清正と彼らの不仲を裏付ける明確な史料は無い)。
だが、慶長元年(1595年)に起きた大地震で秀吉救出に駆けつけたことで許された。
だが秀吉亡き後の慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍方に属した。
徳川家康を助け、肥後熊本藩の初代藩主となったが、秀吉の恩義を終生忘れなかった。
慶長16年(1611年)3月には二条城において、秀吉の遺児豊臣秀頼と徳川家康との会見を取り持つなど和解を斡旋し、無事に帰りついた時には「これでほんのわずかばかり、太閤殿下(秀吉)の恩義に報いることができた」と涙ながらに語ったという。
しかし帰国途中の船内で発病し、6月24日に熊本で死去した。享年50(満49歳没)。
本妙寺(熊本市)に清正を祀る清池廟がある。
セロリを日本に持ち込んだとされており、セロリの異名の一つが「清正人参」と言われている。
また、非常に背が高く、2m近くあったと言われる。
創作物上の扱い
『戦国無双』
詳しくは→コチラ
『炎の蜃気楼』
小説炎の蜃気楼における登場人物。
『へうげもの』
秀吉に小姓の頃から仕える武将で、ねねを母のように慕う。
大の虎好きでいつも話に虎を例えに出すほどで、城造りでも虎の美しさを基本としている。
古田織部とは仲がよく、「力」を信条としていたが、朝鮮で野生の虎に敗れ、数寄や政治の必要性を悟った。
作中の容貌は具志堅用高似で、「ちょっちょねー」という口調だったり、シャドウボクシングをしたりとほぼ具志堅さん。
『殿といっしょ』
モブ武将として登場後、最終12巻で名前が判明。髪やヒゲが荒々しくハネている大柄な武将。
短気かつ粗暴であり、笑いのセンスが低いため相方の正則共々、石田三成からは不暖派と呼ばれ馬鹿にされている。しかし、笑いのセンスがイマイチであろうが、秀吉にとっては大事な部下である。
『信長の忍び』『軍師黒田官兵衛伝』
秀吉子飼いの武将であり、正則や大谷吉継と共にねねに育てられた。髪がサイヤ人のように突き立っている。
親友の正則共々黒田長政を鍛えまくったため、彼が武将になるのを夢見てしまい長政の父・黒田官兵衛から怒りを買った。
弟弟子である三成とは仲が悪く、そもそも向こうからはガン無視されている。
『ブラック・ジャック』
勿論本人は登場しないが、同姓同名の土木作業員が第160話「三者三葉」で登場。事実上の主人公を務めている。演者は丸首ブーン。
北海道某所、高校受験(医師志望)に失敗した少年が歩道橋でたたずむのを見て自殺志願者だと見抜き、「生きるか死ぬか」といった安易な二元論に走る少年を仕事現場に連れて行き人生について語る。
しかし少年と別れた後でガス爆発に巻き込まれて瀕死の重傷を負ってしまい、ブラック・ジャックの施術を受ける。少年はBJの手術を見学したいと頼み込み、加藤の手術は成功。改めて医学の道を志すのだった。
『戦国大戦』
Ver1.2「15XX-五畿七道の雄-」において、戦国数奇カードとして、初登場時は織田家の武将として参戦。
上のイラストは、「戦国大戦カードイラストコンテスト2」の受賞作で、カード化も果たしているが、現在のVer2.0「1582-日輪、本能寺より出ずる-」では排出停止になっているが、豊臣家の武将として続けて参戦している。
スペックについては、BSS仕様・日輪仕様・七本槍仕様別個で記載する。
BSS仕様
スペックはコスト2.5 武力8/統率7の槍足軽で、特技は「気合」。
コスト・武力・統率が高次元でバランスが取れていて、なおかつ「気合」を有するため、非常に扱いやすい。
また台詞回りも、「何者にも怯まねえ!俺は虎だあ!」(計略使用時)や、「弱い奴は、獲物になって食われるだけだ!」(落城時)など、この時期から既に勇猛な武将としての姿を感じられる。
持ち計略の「子飼いの虎」は、自身の武力を3加算し、移動速度を1.4倍速程に高める、今川の「精鋭遊撃術」に近い性能。
武力を底上げするために耐久力をさらに引き上げられるので、多少無理に扱っても撤退しにくい。
また、計略発動時には「虎」の一字が現れ、効果中は超絶強化のBGMが掛かるようになっている。
「弱い奴は、獲物になって
食われるだけだ!」
日輪仕様
Ver2.0「1582-日輪、本能寺より出ずる-」では、豊臣家の武将になって続けて参戦。
二つ名は「猛勇虎之助」。
スペックはコスト1.5 武力6/統率5の槍足軽。
豊臣独自の特技「豊国」を持たないが、単純なスペックで見ても全勢力トップクラスの性能の良さを持つ。
持ち計略は「使用した日輪の数だけ効果が上がる」日輪計略「日輪の猛勇」で、日輪を使わない場合武力を4、1つ使って武力を5、2つ使って武力を8、3つ使って「大絢爛」にすると武力を10増やし、「大絢爛」にした場合移動速度も上昇するようになる。
「この槍ひとつで、
勝利を導いてみせるぜ」
七本槍仕様
日輪仕様と同時に登場した片割れに当たり、二つ名は「賤ヶ岳七本槍」。
スペックはコスト2 武力7/統率6の槍足軽で、特技は「豊国」。
BSS仕様と日輪仕様のちょうど中間にあたるような能力を持つため、戦力としても十分に使いやすい。
持ち計略は「自軍の『七本槍』計略を持つ武将が居る」と、その武将の持ち計略と最大3名分重複して効果を発揮する「七本槍・長槍」。
清正は、自分を含む「七本槍」武将の武力を底上げし、更に槍の長さを延伸出来ることになる。
「この槍の一振りで、天下を動かす!」