図鑑データ
「御蔵型海防艦、一番艦、御蔵。着任します。
提督、御蔵型、何卒よろしくお願い致します。
体は小さいですが、力の限り、務めます。」
概要、御蔵、参ります。
2019年8月30日~31日にかけて行われたアップデートにより、同日より開催の2019年夏季イベント『欧州方面反撃作戦 発動!「シングル作戦」』で実装
E1、E2ボスマスからドロップ入手出来る。
海防艦が欧州遠征時に入手出来るのは昨年のイベントでもあったが初実装時が欧州遠征イベントだったのは2017年夏イベント実装だった松輪に続いて2例目。尚且つ単体での実装は福江に続いて3例目(他の海防艦は姉妹と同時実装なのが殆ど)
択捉型の次級になる甲型海防艦(起工時は乙型で分類)だが、御蔵型の次級になる日振型が先に実装されていた為聊かちぐはぐな状況になっていた。
イラストを担当したA士氏(ピクシブでは「acea4」名義で活動)は台湾出身で、同胞のzeco氏の紹介で初参加を果たしたという。尚、以前より氏は丹陽や臨安など賠償艦として中華民国に渡った旧日本海軍艦艇の史実を題材とした二次創作漫画を描いていた他、艦これサービス開始以前より艦船擬人化イラストを描いていた(中には2010年に描かれた、艦これの赤城さんとそっくりな空母赤城の擬人化イラストも)事もあって、運営アイコンでのチラ見せの段階で既に氏が担当しているのではないかという予想が多数挙がっていた。
この容姿……ありがたいです。
択捉型の次級で尚且つ工程の短縮に成功しなかった史実を受けてか、制服のデザインは日振型よりも択捉型、中でも対馬のデザインに近い。或いは第二海上護衛隊で福江等の択捉型と組んでいたので其の辺りも意識してのデザインだろうか。
上着は角襟のセーラー服で、この点に関しては御蔵型の設計を簡素化した日振型のものと特徴が一致している。ただし彼女の着ているセーラー服は通常の洋服ではなく、よく見ると水干のようなデザインとなっている。更によく見ると、このセーラー服の下には白い和服も一緒に着ているのが見て取れる。
スカートの色はこちらは赤色で、下着が見えてしまう程の大胆なスリットが入っている。こちらも明石や大淀の穿いている例のスカート同様、見ようによっては巫女装束の緋袴のように見えなくもない。
腰から爆雷を大量に下げ左手でも1つ持っている。右手には単装高角砲。左太ももにもホルスターで投射機を装備している。
御蔵自身の特徴としては制服の左襟につけた「イルカのブローチ」だろうか。艦名の由来となった御蔵島の周辺にはミナミハンドウイルカが棲息しており、イルカウォッチングが同島の観光資源となっているため、これにちなんだものと思われる。
なお、その名前が某カプセル怪獣を連想させるためか、早くも下記のイラストが投稿されている。
性格ですね。……大切です、お待ち下さい。
1番艦らしく真面目な性格で、この点は択捉に通じる。
ヒ船団の戦力に対して辛口な評価を下しているが、そのような状況を繰り返さない為の自戒とも取れる。
なお現時点では他の海防艦や艦娘の言及する台詞はないが、似たような状況の艦も期間限定ボイスなどで急に話しかけたりするので特に気にする程でもない
性能は、厳しいですね。でも御蔵は、退きません。
・無印
火力:17、対空:--、対潜:--、索敵:--、耐久:9、装甲:16、回避:--、運:12(初期値)
速力:低速、射程:短、燃料/弾薬:10/10
初期装備:12cm単装砲、25mm連装機銃
初期性能は択捉型と日振型の中間といった感じだが対潜初期値が【40】と日振型と同等で三式ソナーが2つ或いは四式ソナーと三式爆雷投射機があればlv1から先制対潜が可能で、早々に1-5などで対潜れべリングが可能。
・改(Lv??)
・無印
火力:--、対空:--、対潜:--、索敵:--、耐久:--、装甲:--、回避:--、運:--(初期値)
速力:低速、射程:短、燃料/弾薬:--/--
初期装備:
余談ですか。本分ではありませんが、行きましょう。
2019年8月30日のアップデート最中に運営アイコンにてチラ見せが行われたが、その際に映った「イルカ」によって早々に身元が割り出されていた。
同様にイルカ絡みでは同型2番艦の「三宅」の艦名の由来となった三宅島もある(尚、三宅島と御蔵島の間はわずか19kmしか離れていない)。ただし海防艦は「1番艦が優先される」為、「御蔵」であると結論づけられた。
どんなに敵が強くとも……史実は、御蔵は負けませんッ! 最期までッ!
厳しい戦いを強いられた日本海軍の海防艦の中でも、御蔵の最期はとりわけ悲劇的であった。
昭和20年3月、連合艦隊は、戦艦大和を空襲が迫る広島の呉から、佐世保に疎開させようと図った。ついてはその前路掃討のため、香港から門司に帰還したばかりの御蔵と第三十三号海防艦も、休む間もなく駆り出されたのである。
3月28日の13時過ぎ、御蔵ほか各艦は、大分県・鶴御崎沖で敵潜を撃沈。戦後の記録照会で、これはSS-237・トリガーだったとされている(異説あり)。幸先は良かったが、同時に好事魔多し。この数時間後に御蔵と第三十三号は消息を絶ってしまうのである。
大隅海峡東方で亡失と認定されたが、両艦とも生存者は見つからなかった。戦後の照会に寄れば、SS-410・スレッドフィンの雷撃で沈没したとされるが、空母艦載機(第58任務部隊)の空襲で沈められたとの異説もある。いずれにせよ、その最期を語る者がおらず、詳細は明らかとなっていない。
敵艦撃沈の手柄を立てて、港に戻れば労いの一つもかけられたであろうところが、誰一人として栄誉にあずかれぬまま、海の藻屑と化してしまったのである。しかも、肝心の大和は敵空母出現の報に怖じ気づいた格好で、佐世保への回航は中止。徳山沖で待機となり、そのまま遊兵化してしまった。完全に無駄死にとなってしまったのである(見方を変えれば、御蔵と第三十三号が「身を挺して危険を知らせてくれた」と言えなくもないが……)
労多く報われない戦いの多かった日本の海防艦を象徴するような最期だった。
関連イラスト
関連タグ
第一海上護衛隊(1944年8月15日以降)時の同僚
第二海上護衛隊(1944年7月18日最終時編制この後解隊)時の同僚
第百二戦隊(1945年1月1日編制)