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TM_NETWORKの編集履歴

2023-10-08 03:10:11 バージョン

TM_NETWORK

てぃーえむねっとわーく

TM NETWORKとは、日本の三人組音楽ユニットである。

概要

前身バンド『SPEEDWAY』を経て1984年にデビュー。

当時としては画期的だったシンセサイザーやコンピューターを多用したデジタルビートを主軸としている。

デビューアルバムに収録された楽曲のほとんどは、当時在籍していたレコード会社に送ったデモテープからの楽曲。

この頃は当時流行していた洋楽のジャンルであるニューロマンティックの影響を色濃く受けていた。

デビュー当初は2年ほど鳴かず飛ばずが続いたが、1987年2月にアルバム『Self Control』がスマッシュヒットし人気に火が着き、続いて4月にはテレビアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲『Get Wild』のシングルが初のオリコン・シングルチャートでトップ10入りを記録して大ヒットとなり、ついにブレイクを果たした。

その後も、シンセポップやテクノポップなど様々なジャンルの楽曲を生み出し、1980年代後半のJ-POPを牽引し、その影響は90年代以降の音楽にも及んでいる。

所属レーベルはEpic/Sony Records(現Epic Records)→TRUE KiSS DiSC (Sony Music Entertainment)→ROJAM ENTERTAINMENT→R & C JAPAN (吉本興業)→avex trax→M-TRES→Sony Music Labelsの順に移籍。



略歴


結成~デビュー

1983年の時点で既にロックバンド『SPEEDWAY』を脱退してフリー作曲家として活動していた小室哲哉が『SPEEDWAY』のリーダーで音楽仲間だった木根尚登を「僕と木根の二人で曲を書いて外国人のボーカリストに歌わせるユニットをやらないか」と誘ったのが全てのきっかけとなる。

しかし…ある日突然、そのボーカリスト候補だったオーストラリア人のマイクは滞在ビザが切れて強制国外退去となり当初の計画は頓挫するが、木根が当時既に活動停止状態だった『SPEEDWAY』から宇都宮隆をメインボーカルとして引き抜く形で『TM NETWORK』を結成。

ユニット名にある『TM』は小室の発案によるネーミングである。

アメリカのバンド『シカゴ』のように地域性を出そうと云う小室のアイデアで『立川ボーイズ』だの『高円寺』だの『多摩丘陵』だの『タマ・ズー』だの『タマ・ノ・コシ』と適当にネーミング案を出していくうちに、木根尚登が当時流行っていたオーストラリアのバンド『メン・アットワーク』の語感から「ネットワークって言葉は使えないかな?」と提案したところ、小室は自身の出身地である三多摩地区に強い拘りがあったために、最初は『TaMa NETWORK』と名付けた。

が、宇都宮隆の「でも、タマはカッチョ悪くない?」の一言により略して『TM NETWORK』となった。

そして3人は『TM NETWORK』としてコカ・コーラ主催のフレッシュサウンズコンテストに出場し、『1974』を演奏してトップ成績で優勝したことでEpic/Sony Recordsよりメジャーデビューが決まった。

メジャーデビューに際してEpic/Sony Records側の意向によりユニット名の再ネーミングが検討され『スロー・ダンサー』『メロー・イエロー』『ジェニファー・ジェニファー』『ピーカーブー』等のネーミング案が出されたが、結局『TM NETWORK』を覆す程の名前が出ることはなく、小室のアイデアで「TMはTime Machineの略」と云う設定にしたことでEpic/Sony Records側も納得した。


そして1984年4月21日、『TM NETWORK』はEpic/Sony Recordsより1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』と1stシングル『金曜日のライオン』の同時発売でメジャーデビューした。



ブレイク~TMN終了

メジャーデビュー後は2年ほど地道な活動を続けるもヒット曲には恵まれなかったが、1986年1月に小室が渡辺美里に楽曲提供した『My Revolution』が大ヒットし、ブレイクへの糸口を掴むことになる。

同年4月21日に発売した12インチシングル『Come on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)』ではニューヨークで初の海外レコーディングを経験し、現在も続く『FANKS』というキーワードを提唱した。

続く6月4日発売の3rdアルバム『GORILLA』ではオリコンで20位以内にランク入りし、大きく売り上げを伸ばすことになった。


翌1987年、2月26日に発売した4thアルバム『Self Control』がアルバム作品では初のランキングベスト10入りをし、オリコンでは最高3位とスマッシュヒットする。

続く4月8日発売の10thシングル『Get Wild』がTVアニメ『シティーハンター』のEDテーマ曲として採用されると、シングルとして初めてオリコンベスト10入りを果たす大ヒットとなり、2ヶ月後の6月24日に開催する初の武道館公演『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』のライブチケットは即日ソールドアウトする程の大人気になる。

7月1日には初のベストアルバムとなる『Gift for Fanks』をリリース。当時の音楽メディアはまだまだアナログレコード盤が主流だったが、このアルバムはなんとCDのみのリリースであった。しかしオリコンアルバムランキングでは最高1位を記録する程の好セールスとなった。なお、同日には1stアルバム『RAINBOW RAINBOW』のCD版を廉価仕様で再発している。

続いて11月11日には東京とロサンゼルスで当時最新の機材を用いてデジタルレコーディングを行い制作した5thアルバム『humansystem』をリリースする。

12月8日にはフジテレビ系の年末大型音楽番組『FNS歌謡祭』に初出演し、『Get Wild』『Self Control(方舟に曳かれて)』を披露した。


1988年になると益々人気はうなぎ登りで、8月25日には単独ライブ『T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK』を東京ドームで開催。

12月9日には6thアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』をリリース。

オリコンアルバムランキングでは最高1位で、『TM NETWORK』史上最大の66万枚(オリコン調べ)の売上枚数(SonyMusicの総合出荷記録では既にミリオンを突破)を記録した。

更に、この年の大晦日には第39回NHK紅白歌合戦に『COME ON EVERYBODY '88 FINAL MEGAMIX』で出場した。


1989年5月12日には「リプロダクションアルバム」と銘打ったリミックスアルバム『DRESS』を発売。

1989年当時は「リミックス」という手法の概念がまだ世の中はおろか音楽業界にすら浸透しておらず、既存楽曲のボーカルトラックだけをそのまま残し、その他の音を数多の海外エンジニア達に委託して作り替えるという斬新な手法は話題を呼んだ。


1990年8月28日、「TMNリニューアル宣言」によりユニット名を『TMN』に改名。

同年9月28日22ndシングル『TIME TO COUNT DOWN』を、10月25日には7thアルバム『RHYTHM RED』をリリースしプログレッシブ・ロックハードロック路線を打ち出し、これまでとは異なるイメージを展開した。


1991年5月22日、50万枚以上を売り上げて『TM NETWORK』~『TMN』のシングル史上最大のセールス記録を誇る25thシングル『Love Train / We love the EARTH』をリリースする。

9月5日には「音の万国博覧会」をテーマに様々なジャンルの音楽を詰め込んだ8thアルバム『EXPO』を発売した。

11月15日には『EXPO』のアウトテイクとなっていた曲『WILD HEAVEN』を再レコーディングして26thシングルとしてリリース。シングル化に際してTVドラマ『ララバイ刑事'91』のOPテーマとして採用された。


1992年になり、前年秋より続いたライブツアー『TOUR TMN EXPO FINAL CRAZY 4 YOU』の4月18日の公演を終えると一旦活動を停止。

3人はそれぞれソロワークへ突入する。

8月21日には初のライブベストアルバム『COLOSSEUM Ⅰ』『COLOSSEUM Ⅱ』を同時リリース。


1993年、8月21日に『TMN』として1年間の沈黙を破り「次へのウォーミングアップ」と謳い小室が全曲のセレクトとリミックスを担当したリミックスベストアルバム『CLASSIX 1』『CLASSIX 2』を同時リリース。

続けざまに9月29日には685日ぶりの新曲となる27thシングル『一途な恋』をリリース。

翌年のデビュー10周年に向けての活動が期待された。


そしてデビューから10年となる1994年4月21日、28thシングル『Nights of The Knife』の発売と同時に発表されたのは「TMNプロジェクト終了宣言」と題した解散表明だった。

同日の夜には特別ラジオ番組『TMNのオールナイトニッポン』に3人が生出演し、3人それぞれの思いを語った。

同年5月18日と19日に東京ドームで開催された終了ライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』は予約開始早々に電話回線がパンクする程のチケット争奪戦になった。



TM NETWORKとして復活、しかし…

1996年12月12日に発売したベストアルバム『TIME CAPSULE -all the singles-』のボーナストラック曲『Detour』を3人の連名で制作。


1997年には小室が出演したラジオ番組等で「TMN復活」を示唆する発言をする。


1999年7月21日に「全ての環境が整った」として、小室が古巣のSony Music Entertainmentにてプライベートレーベルとして発足したTRUE KiSS DiSCより5年ぶりに『TM NETWORK』の名で再始動。


翌年の2000年7月には小室が香港を拠点に起業した音楽エンタテイメント企業のROJAM ENTERTAINMENTに籍を移しインディーズとして活動をすることになる。


だが、これがいけなかった。


2000年にはROJAMから『TM NETWORK』として三枚のシングルと、再始動後の初のオリジナルアルバム作品となる9thアルバム『Major Turn-Round』を当時まだまだメジャーではなかったインターネット通販によりリリースし、12月から全国ライブツアーも敢行するが、ROJAMは様々な商業的失敗による経営難から吉本興業に買収されることになった。


所謂「吉本暗黒期」の始まりである。


2002年に『TM NETWORK』は小室のビジネス失敗のゴタゴタに巻き添えになる様な形で吉本興業のR & C JAPAN(現・よしもとミュージック)に移籍する。

吉本興業に移籍後最初の作品として同年10月30日にリリースされた35thシングル『CASTLE IN THE CLOUDS』は日本テレビ開局50周年・吉本興業創業90周年プロジェクト『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』のキャンペーンソングとして起用され、当初はTV番組『進ぬ!電波少年』に出演していた吉本興業のお笑い芸人である矢部太郎の番組中応援歌という設定で制作された。

『CASTLE IN THE CLOUDS』のデモ状態の曲を聴いた『日テレ番組編成部長の黒幕T』こと土屋敏男から「歌詞が大げさ過ぎて番組の内容に合わない」と指摘されたため、作詞を担当した小室みつ子は歌詞を何度も修正させられる羽目になった。なお、歌詞を修正する前のデモトラック『CASTLE IN THE CLOUDS (YABE VERSION)』が翌2003年2月5日に発売した蔵出し音源集アルバム『キヲクトキロク ~Major Turn-Round』に収録されている。


2004年にはデビュー20周年記念として大々的な活動が期待されていたが、小室が当時傾倒していたトランスミュージックとファンが『TM NETWORK』へ求める音楽の剥離が激しく、3月24日にリリースしたデビュー20周年記念作品である10thアルバム『NETWORK™ -Easy Listening-』は過去曲のトランスアレンジの寄せ集めに新曲が少し足されただけ(しかも小室のトランス趣味全開のインスト曲ばかり)と云う有り様だった。

更に20周年記念ライブツアーでのステージ上の小室の格好はと云えばTシャツ一枚にジーンズ姿と云う、かつての作り込まれたステージ衣装に身を包んでいた全盛期の頃の姿に比べ、あまりにもみすぼらしいラフな格好であり、演奏もキーボードは殆んど弾かずに機材のツマミを弄ってばかりの所謂DJスタイルで、古参のファン達を大いに落胆させた。

こうして『TM NETWORK』の20周年は僅か2ヶ月程度と呆気なく短期間で終わり、小室は同年の秋から始まる『globe』の10周年記念ライブツアーに向けて注力していた。


それから3年のブランクを挟む形で2007年10月31日に37thシングル『Welcome Back 2』をリリースし、続いて12月5日には11thアルバム『SPEEDWAY』をリリースし、パシフィコ横浜でのライブを皮切りに渋谷公会堂と武道館でライブを行い、続く2008年春には全国ライブツアーを行う。

こうして、ファンからは2009年のデビュー25周年に向けての活動が期待されていた。


…しかし2008年11月4日、小室哲哉が5億円詐欺容疑で逮捕

これにより『TM NETWORK』の25周年に向けた予定は全て白紙になり無期限活動休止を余儀なくされる。

吉本興業からも契約を打ち切られ、宇都宮隆と木根尚登はCDをリリースする際には個人事務所のインディーズレーベルから発売するか任意のレコード会社と短期間限定契約を結ぶといった、所謂フリー状態になる。



30周年に向け再始動

2009年5月に大阪地方裁判所より小室は懲役3年、執行猶5年の有罪判決が言い渡され、これに小室の弁護側と検察側は控訴せず刑が確定。

この一件で、過去にビジネス上の衝突により小室と長期間絶縁していたはずのエイベックス代表取締役社長の松浦勝人が「小室さんは何も知らない自分に音楽業界のことを教えてくれた恩師で、今のエイベックスがあるのも小室さんのおかげなのだと思い出した」として「お世話になった小室さんへの恩返し」だと、ポケットマネーから詐欺事件の被害者へ解決金を含めた6億5000万円を支払い示談を申し込んでいた。

これにより精神的にも経済的にも小室は救われる形となるのだった。

更に仲違いしていたままだったエイベックス副社長の千葉龍平とも和解し、小室はエイベックス所属のミュージシャンとして正式に復帰する。


2012年2月に『TM NETWORK』はテレビ番組『SMAP×SMAP』へゲスト出演。3月には幕張メッセでのイベントに参加。そして4月24日に『TM NETWORK』は正式にavex traxへ移籍し、38thシングル『I am』をリリースと同時に『Incubation Period』と題した武道館2Daysライブを行い、デビュー30周年に向け本格的に活動再開。


2013年には宇都宮隆の膵臓の病気が見つかり手術をするという災難があったものの、さいたまスーパーアリーナで7月20日と21日に『FINAL MISSION -START investigation-』と題した2Daysライブを行い成功させる。


30周年メモリアルイヤーとなる2014年になると、30年目のデビュー記念日の翌日4月22日にセルフ・リプロダクションアルバムである『DRESS2』をリリースする。

続いて半年後の10月29日には30周年記念作品となる待望の12thアルバム『QUIT30』を「2枚組・全22曲」という大ボリュームな内容でリリースした。

30周年記念ライブツアーも春と秋の2シーズンに渡って敢行するという力の入れようだった。

こうして『TM NETWORK』の30周年を記念した活動は2015年の3月21日と22日に横浜アリーナで開催された『30th FINAL』の2Daysライブまで続き、20周年の時以降ずっと辛酸を舐め続け肩身の狭い思いをしてきたファン達の鬱憤と雪辱を晴らしたのだった。


そしてデビュー30周年の活動が一段落した後、3人は各々自身のソロ活動を重視したペースで活動していた。


2017年には『Get Wild発売30周年記念』と題して、CD4枚組で36曲全てが『Get Wildという「数の暴力」を謳った『GET WILD SONG MAFIA』というトンデモ商品を発売した。


小室哲哉の引退騒動~復帰

…しかし2018年、小室は美人看護師との不倫スキャンダル週刊文春によって報じられてしまう。

この文春砲によって小室は自棄を起こし、エイベックス代表取締役の松浦勝人の制止も聞かずに記者会見を開き、その場で芸能界と音楽業界からの引退を発表。

これにより、またもや『TM NETWORK』は無期限活動停止になるのだった。


2019年には宇都宮隆がソロで『TM NETWORK』の楽曲ばかりを歌う『Dragon The Carnival』と題したライブツアーを敢行。『TM NETWORK』の35周年を祝いたかったファン達の気持ちに応えた。


翌2020年の3月18日、ファン投票によるベストアルバム『Gift from Fanks T』と『Gift from Fanks M』をそれぞれSonyMusicエイベックスよりダブルリリースする。1stアルバムのアウトテイクだった幻の曲『グリニッジの光を離れて』がボーナストラックとして初収録され、同じくボーナストラックとして1989年のリプロダクションアルバム『DRESS』制作時に作られ未発表テイクになっていた『GET WILD '89 (7inch Version)』も初収録された。

同年に、小室は秋元康松浦勝人の依頼に応える形で限定的に乃木坂46浜崎あゆみに楽曲提供を行って現場復帰するものの、『TM NETWORK』としての活動に関しては明言しなかった。


しかし、翌2021年になると小室は「今しばらく音楽をやらせてください。働かせてください。」と云うコメントを世間に向けて発信し、自身の本格的な音楽業界への現役復帰を報告するとともに『TM NETWORK』として3人での音楽活動も再開する事を発表した。


40周年へ向けて活動再開~現在

2022年になると2月23日にファン投票によるライブベストアルバム『LIVE HISTORIA T』と『LIVE HISTORIA M』をリリース。初期のライブでのみ公開され、ファンの間でその存在が知られていた幻の曲『17 to 19』が初収録された。

4月21日、デビュー38周年となるこの日、前年にニコニコ動画のネット生配信でのみ公開していた無観客ライブ映像をBlu-rayパッケージ化した『How Do You Crash It?』をリリース。初回限定盤のみ新曲『How Crash?』のスタジオ音源版を収録したCDが同梱された。

4月28日には夏から開催するライブツアー『FANKS intelligence Days』のオープニング曲『Please Heal The World』をLINE NFTでリリースした。

7月29日、2015年の『30th FINAL』より7年ぶりとなるライブツアー『TM NETWORK TOUR 2022 “FANKS intelligence Days”』をスタート。当初は『TM NETWORK』のメンバー3人のみでライブを行い、サポートメンバーを入れない構成だったが、9月3日と4日のツアーファイナルのみ阿部薫と小野かほりの2名がドラムでサポートメンバーとして参加した。


2023年4月21日、デビュー39周年となるこの日、6月14日に『QUIT30』から約9年振りとなるオリジナルアルバム『DEVOTION』がリリースされること、そして秋から全国ライブツアーを行うことも発表した。

6月13日、同年9月8日から公開されるアニメ映画『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』のOPテーマとして新曲『Whatever Comes (Opening Edit)』を配信リリースすると発表し、翌日6月14日 に13thアルバム『DEVOTION』と配信限定シングル『Whatever Comes (Opening Edit)』を同時リリースした。

9月6日には45thシングルとして『Whatever Comes』のフルバージョンをCDとして発売する。



楽曲

アニオタには『シティーハンター』ED曲の『Get Wild』と『STILL LOVE HER※』の他にも、劇場版アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のEDテーマ曲である『BEYOND THE TIME』でもなじみ深い。

※『シティーハンター2』後期ED曲。「ハーモニカ撫でておくれ」のぎなた読みでも知られる。


福岡県民にはテレビ西日本の天気予報のBGM『Fantastic Vision』が有名。(かつては同局の放送開始映像に使われていた)


鈴木亜美のカバーで有名な『Be Together』や、後藤久美子沢口靖子のW主演ドラマの主題歌になった『Resistance』、宮沢りえ主演の映画『ぼくらの七日間戦争』の主題歌『SEVEN DAYS WAR』と挿入歌『GIRLFRIEND』等の有名なタイアップ曲も数多くある。

TMN時代にはmaxellのカセットテープの『THE POINT OF LOVERS' NIGHT』と『TIME TO COUNT DOWN』、ハウス食品オー・ザックの『RHYTHM RED BEAT BLACK』、カメリアダイヤモンドの『LOVE TRAIN』等のCMタイアップ曲が多くなった。



pixivでは本人たちの似顔絵などの他、4枚目のアルバム『Self Control』のジャケットのパロディイラストが散見される。


正規メンバー

1984年の結成から一度もメンバー変更が行われていない。

  • 小室哲哉:シンセ、ピアノ、キーボードetc.
  • 宇都宮隆:Vo.、ギター
  • 木根尚登:コーラス、ギター ※後に、初期の頃はアコースティックギターのみでエレキギターが弾けずエアギターだったが練習して克服したとカミングアウトしている。

サポートメンバー

関連人物・グループ等

  • 川内康範 - 『SPEEDWAY』時代に『Rockin' on the 月光仮面』の発売に関して『月光仮面は誰でしょう』の歌詞の使用許可を貰いに小室が川内康範の自宅へ行った際、川内は自身が作詞と作曲をした『ジーパンはいた赤トンボ』か『山あり谷あり』のどちらかの曲をB面にするよう条件を出す。曲名を聞かされた小室は目眩がしたという。結局、五十歩百歩だったが『山あり谷あり』が選択された。コードを変えてメロディーを書き直しイントロと間奏しか印象に残らない様にして、更にボーカルエフェクターを強めにかけて何を歌っているのか判らない様に改変したうえで『ダンシング・ライダー』と曲名を変更してリリースした。結局、サビのメロディーを全部変えたりもしたのだが、出来上がった曲を聴いた川内康範は文句を言うどころか終始御機嫌だったと云う。歌詞を弄らなかった事、川内に出来上がった曲を聴かせてきちんと許可を取った事が功を奏したらしい。同様に川内康範が作詞した『おふくろさん』の歌詞を無断で改変して歌っているのが後に発覚し川内を激怒させて同曲を歌唱禁止のうえに絶縁までされた森進一とは対応に凄まじいまでの差がある。
  • 日詰昭一郎 - ライブ時のサポートに止まらず、小室のラジオ番組に『ドクトル日詰』としてレギュラー出演、また3人と音楽ユニット『ハンバーグ&カニクリームコロッケ』を結成してボーカルを担当するなど活躍した。2001年に43歳の若さで死去。
  • FENCE OF DEFENSE - 北島健二(G)、西村麻聡(B)、山田わたる(D)によるスリーピースバンド。メンバーが個別、または全員でサポートを務めたことがある。
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