建造の背景
ミッドウェーで虎の子の空母4隻を失ったことを受け、海軍は改⑤計画という
空母15隻の建造を画策した。
しかしながら、計画通りに行くはずもなく結局完成3隻、製作途中放棄艦3隻にとどまった。
本艦は完成したうちの一隻である。
スペック
全長227.35m
全幅27m
最大速度32ノット
出力104,000馬力
排水量17,150t
運用実績
葛城は昭和19年10月20日に就役した。
しかし、レイテ沖海戦以降航空戦力は崩壊しており、さらに動かす重油もなく外地に出撃することはなかった。
昭和20年からは本艦の滞泊している呉への本格的な空襲が始まり3度の空襲で計4発の爆弾が被弾し、中波状態のまま終戦を迎えた(3発との説もある)。
終戦後外地の日本人を復員させる必要があり、被弾していたものの修理すれば航行に問題が無く一度に3000人を輸送できる本艦は復員船として使用されることとなった。
復員船としての初めてのそして本艦の初めての海外遠征は昭和21年からのラバウル島の日本人復員
任務であった。
同年4月葛城は無事に神奈川県の久里浜港に入港した。
その後は約5万人の復員者を輸送した。
その後昭和21年から解体が始まり、よく22年11月には解体が完全に終了し、波乱の艦生を終えた。
エピソード
本艦の製造に関しては製造予定だった陽炎型駆逐艦のタービン2隻分を流用しており他の2隻と比べて最大速度が少し劣っていたと言われる。
本艦の操縦マニュアルは敗戦時に廃棄されてしまっていたが、同型艦であり、呉で大破していた天城艦橋内に放置されていたため無事に運転することができた。