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主要データ

常備排水量:13040t。

全長:127.6m。

全幅:22.2m。

武装:28㎝連装砲塔2基。

   15㎝単装砲14基。

   8.8㎝砲4基。

   45㎝魚雷発射管(水中)6基。

装甲:水線:240㎜。甲板:40㎜。司令塔:300㎜。主砲(前盾):300㎜。

最高速力:19ノット。

艦歴

 1903年~1905年にかけて1903年計画戦艦N~Rとしてそれぞれが起工され、1906年~1908年にかけて竣工した。

 第一次世界大戦の最中の1916年5月31~6月1日のユトランド沖海戦に第二戦隊として参加。夜戦での雷撃にてポンメルンを失う。もっとも本海戦で前弩級戦艦を投入したのはドイツ海軍だけで、損失が一隻だけに抑えられたのは幸運ともいえるもので能力不足は明らかであり、遂には1917年8月には予備役となる。

 第一世界大戦終了後の1919年6月28日に調印されたヴェルサイユ条約により本級は保有を認められ戦艦に復帰するもドイッチュラントだけは復帰できぬまま1922年に解体。ブラウンシュヴァイク級戦艦3隻と残りの本級の6隻がヴァイマル共和国の戦艦となる。

 1926年~1930年の間にそれぞれが近代改装を受ける。

 1935年ハノーヴァー除籍。(1946年解体)

 残りの二隻は1936年~1938年にかけて練習艦に改装される。

 1939年9月1日。シュレスヴィヒ・ホルシュタインはポーランドダンツィヒのヴェステラルプラッテ要塞を砲撃し、陸戦隊を上陸させ第二次世界大戦の火蓋を切った。

 その後、バルト海や「ヴェーゼル演習作戦」、機雷施設作業などの軍事行動や宿泊艦として活動。

 1944年に近代改装を受ける。

 1944年12月18日、シュレスヴィヒ・ホルシュタインはイギリス空軍の爆撃を受け大破し、1945年3月21日に自沈。

 1945年5月3日、シュレジェンはシュヴィネームンデ沖で触雷し大破着底。翌日に自沈した。

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