バレンタイン歩兵戦車
ばれんたいんほへいせんしゃ
イギリス陸軍が第二次世界大戦中に運用した歩兵戦車
概要
開発
開発チームは、Mk.Ⅱ巡航戦車の重量と歩兵戦車の装甲を組み合わせることを試みたが、これは機構が詰め込まれた小さな車体に、2名搭載の砲塔を搭載するという外観に結びついた。マチルダ戦車よりは装甲が薄く動力も弱く、同程度の速度であったが、低コストで、かつ大量生産に適していた。
陸軍省は当初、砲塔と乗務員コンパートメントの小ささから、この設計を制止した。しかしながら、ヨーロッパ戦線の戦況から、最終的に1939年4月に設計が承認された。1940年5月には試験が開始されたが、この時期はダンケルクの撤退によるイギリス軍装備の損失と重なっていた。試験は成功し、この車輌は「歩兵戦車 Mk.Ⅲ バレンタイン」としてすぐに量産に移された。
名前の由来
バレンタインという名前が付けられた経緯については、いくつかの説が存在する。もっともポピュラーなものは、陸軍省に設計が提出されたのがバレンタインデー(2月14日)だったというものだが、いくつかのソースは提出日が2月10日だったと主張している。他の説では、A10戦車やその他のヴィッカース製戦車の開発に尽力したジョン・バレンタイン・カーデン卿 Sir John Valentine Cardenから取られたというものがある。この他にValentineは Vickers-Armstrong Ltd Elswick & Newcastle-upon-Tyne. の頭文字を取ったものだという説がある。