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山形城の編集履歴

2015-02-02 21:03:49 バージョン

山形城

やまがたじょう

日本100名城のひとつ。

概要


別名は霞城、霞ヶ城。

また吉字城とも呼ばれた。


国の史跡に指定されている。


日本でもトップクラスの規模を誇る広い城。


1356年南北朝時代に南朝方勢力とされる足利氏の血を引く斯波兼頼が入部。

翌年に山形城として築城されている。


その後最上姓を名乗り以降山形城は最上氏の居城となっている。

伊達氏との攻防に何度もさらされたが、出羽合戦に勝利した最上義光の手によって出羽藩57万石の本城として生まれ変わった。


城下町を整備し水運を充実させた城だったとされている。

町の人口は実に3万5千人を数えたとされる。

同時に羽州街道の要所でもあった。



しかし江戸時代に最上氏が転封処分になると譜代の鳥居氏が20万石で入城。

この時城は完成を迎えた。


その後転封が続き保科、松平、水野と城主は変わっており、変わる度に石高も減少している。


その巨大な敷地は維持費用が藩の経済を圧迫していたという。


明治時代には陸軍の駐屯地として利用される。

その際に本丸の堀と土手が埋められている。


現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。


昭和61年に国の史跡となった。

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