嵯峨天皇
さがてんのう
第52代天皇。桓武天皇皇子。延暦5年降誕、大同4年即位、承和9年崩御。
概要
御母は藤原乙牟漏。
大同4年(西暦809年)、兄君の平城天皇の譲位を承けて即位される。
官制の改革や格式の整備など、律令政治の再編に意欲的に取り組み、政治的安定期をもたらされた。
平城上皇派が奈良(旧平城京)に再遷都しようとするのを阻止し、「平安京は嵯峨天皇の代に確定した」と後に言われる。
文化面では、中国文化を積極的に摂取されたが、その文学的達成が勅撰三詩集である。
すなわち弘仁5年(西暦814年)、天皇の命を承けて編纂された『凌雲集』という漢詩集の出現は、貴族社会における漢詩文の制作を一段と活発化させ、『文華秀麗集』(弘仁9年)、『経国集』(天長4年)という勅撰詩(文)集を相次いで成立させることになる。
しかも、『凌雲集』と『文華秀麗集』では、撰者たちは作品の採否に迷ったときには最終的な判断を天皇に仰いでいる。
また、詩の実力者としても、三詩集を通して嵯峨天皇の御製は93首と最も多く収められ、嵯峨天皇は詩人としてもこの時代の代表的存在であられた。
弘仁14年(西暦823年)、皇弟の淳和天皇に位を譲り上皇となられるが、さらにその後を継がれた仁明天皇(嵯峨天皇皇子)の承和9年に崩御されるまで、政治的にも文学の世界においても大きな存在であり続けた。