マケドニア王国
まけどにあおうこく
(希臘)Μακεδονικό βασίλειο
(英語)Monarchy of Macedonian
(存続:B.C808(伝)- 146.762年)
ギリシャ世界の都市国家(ポリス)の主役級の一。国定は君主制、守護神(後代だけど)アレクサンダー大王
都市国家マケドニアとも。
このポリスは神話時代ミュケナイ文明以来のギリシャ神話の神々の(オリュンポス12神)なのかはわからないが、神々の権力に由来した継続してきた神権的な王権を維持してきた。これは王(元首)を市民階層による政治組織(民会・元老院)などから選ぶ『共和王国』より古い命脈を持つ主要ポリスの一つに数えられ、ミュケナイ時代の神話的大国のトロイア王国などの制度に近いと思われる。
民主主義政治(デモクラシー)を創設したアテナイ文明中期からギリシャ文明全体=ポリス全体の国連の主導大国となりB.C146年にローマ共和国(S.P.Q.R.B.C753(伝)-A.D1453(東側のローマ元首国家.東ローマ帝国.ビザンツ共和国)との100年にわたる戦争により敗れ滅亡するまで間『ギリシャ文明・世界(ギリシャ神話)圏の中心国家』であった。現代のマケドニア共和国とはまったく異なる世界観を有していたので注意が要るが、現代のマケドニア共和国の由来自体はこの時代の『都市国家マケドニア』を基にしている。
マケドニアは文献によると10王朝47人の君主が存在していたが、思われるに初期の君主は実在していない可能性がある。一番有名と思われる超人野郎『アレクサンダー・ガンマ大王』(3世.在位.336-323.13年)は26代目の王であったようだ。しかしアレクサンダー・アルファ王(1世)、アレクサンダー・ベータ王(2世)もしかしすると『空想』かもしれない。
マケドニアの中央政府は事実ならば10回王朝が交代しているらしく、易姓革命的なことが起こっていたと思われるが。しかしこのことはギリシャ世界では、特に民主主義政治が浸透した古代ギリシャ以降では君主の政権交代という観念自体がまずあまり慣れていないなことであり、世襲権力という感覚自体にいたってはギリシャ世界のみならず、少し違うローマ世界でもついに浸透しなかった。
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アテナイ共和国・・・(存続B.C1200-B.C338)(伝)-ギリシャ文明の都市国家(ポリス)の主役級の一。守護神アテネ女神。基幹住民:アカイア人(古代ギリシャ人) 国定は民主主義共和国(デモクラティア)人類史上初の官僚制に依存しない形の民主主義国家を創設した事で有名、西洋世界の民主主義を標榜する存在は、すべてここを原点にしている。民主主義超大国アメリカはアテナイ共和国に近いとする主張もある。B.C338年にアレクサンダー大王のマケドニア王国に破れ植民地化しアテナイ国家は事実上終幕.その後B.C168年にマケドニアに変わり史上初の社会主義国家ぽいローマ共和国の引き続き植民地となってほぼ存在意義を失う。