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第十一水雷戦隊の編集履歴

2016-08-02 23:23:43 バージョン

第十一水雷戦隊

たつたほいくえんもしくはながもんほいほいもしくはていこくかいぐんさいごのすいらいせんたい

第十一水雷戦隊とは大日本帝国海軍第一艦隊に所属していた水雷戦隊の事である。 太平洋戦争中盤に水雷戦隊の練成部隊として組織され、新型駆逐艦や長期修理の完了した駆逐艦を戦力の消耗した各水雷戦隊へ補充する役割を担った。

新造駆逐艦や長期修理の完了した駆逐艦とその乗組員の練成部隊として、1943年4月1日編成された水雷戦隊。


玉波以降の夕雲型駆逐艦や新月以降の秋月型駆逐艦、島風や松型駆逐艦など、戦争中盤以降に竣工した駆逐艦のほとんどが就役直後に一時編入され、訓練を行った後に前線の各水雷戦隊へ配属された。


また不知火や霞、満潮など、長期修理を行った駆逐艦も乗組員の入れ替えや再訓練などにより一時編入された。


訓練は主に呉周辺の瀬戸内海で行われた。


柱島に停泊する、戦艦部隊(長門、陸奥、扶桑、山城、伊勢、日向)を中心とする第一艦隊には前衛の水雷戦隊として第1水雷戦隊第3水雷戦隊があったが、戦局が悪化すると前線の第五艦隊や第八艦隊に引き抜かれていた。そのためどうせなら戦艦部隊の護衛をやらせようということで第十一水雷戦隊は第一艦隊旗艦の長門の指揮下にあった


訓練部隊ということで練習艦だった戦艦山城や伊勢などが一時転入されることがあった。また陸奥の爆沈時には救助作業に当たった。


訓練や戦艦の護衛のみならず船団護衛などもおこなった。


1944年前半までの旗艦は龍田

龍田と第六駆逐隊の雷、電、響が1944年前半までレギュラーメンバーだった。


響は第十一水雷戦隊において各種目標艦を務め、新造駆逐艦に対してアグレッサー部隊のようなことをしていた他、連合艦隊司令部直属のような扱いで単独行動をとることが多く、キスカ島撤退作戦には島風とともに助っ人として参加した。


わずかな間、駆逐艦や戦艦山城が一時旗艦の代理を務めている。


龍田が沈んだ後は長良、次いで酒匂が旗艦を引き継ぐ。第二水雷戦隊が壊滅した後は最後の水雷戦隊となったが、終戦直前の1945年7月15日についに解隊された。

関連イラスト

軽巡洋艦龍田が訓練部隊の旗艦を、1943年の8月末までは駆逐艦響が訓練支援の標的艦を務める事が多かった。

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