八百屋お七
お七は江戸本郷にいた八百屋の娘。
天和二年(1682年)暮れの大火でお七の一家は焼け出され、非難した檀那寺にてお七は寺小姓と恋仲になった。翌年の正月、お七の家は再建されて両者は離れ離れになるが、恋慕を抑えきれぬ彼女は、再び火事になれば再会できると考える。そして火付けを起こしたお七は捕えられ、天和3年(1683年)3月に鈴ケ森刑場で火刑に処された。
生年は1668年で、彼女の享年は15歳といわれる。
お七の話は井原西鶴の浮世草子「好色五人女」に取り上げられてからは、紀海音の浄瑠璃など多くの作品の題材になった。
また大田南畝の随筆「一話一言」には、頭は人のままで身体が鶏になったお七の幽霊が京極家の足軽に墓の修繕を頼む話が書かれている。