実際の武器としての二人と歴史
[・日本号pixivimage:57453534]
元御物の大身槍。刀身には、俱利伽羅竜の彫り物がされている。
秀吉の配下であった『福島正則』が持っていた槍。
第二次朝鮮出兵前、使いに来ていた『母里太兵衛』に「この杯に注いである酒を飲み干したら、望みの品を与える」と福島が挑発。
太兵衛はその挑発に乗り、見事酒を飲み干す。
その時の褒美として、日本号を貰ったのだ。(福島は喜んで与えたとか、後日返してくれと言ったりとか所説ある。)
それからは黒田家に大切にされている。
(日本号の刀剣破壊ボイスを聴くと、福島を前の主としているようだ。)
「~っ…、飲み過ぎたせいで負けたんじゃ…前の主を悪く言えねえよなぁ…」
[・同田貫正国pixivimage:59051529]
秀吉の配下であった『加藤清正』が気に入っていた刀工集団の刀。
幅が広く反りが少なく、折れにくい。「折れず曲がらず同田貫」
銘を「九州肥後同田貫」、「九州肥後同田貫藤原正国」と呼んだりする。
同田貫という名前は地名であり、正国は同田貫一派の祖である『上野介』が打ったもの。
祖の上野介(弟)と国勝(兄)は、清正の名前から一文字ずつ授かり、『正国』と『清国』と名乗る。(清国は途中で刀作りを辞めている)
それからは熊本城の常備刀として使われてきたが、清正が亡くなってから振るわれる事が少なくなった。
江戸時代くらいにはその作風が故に、折れるかどうかの遊びができたりしたりした不遇の刀。
明治の天覧兜割りで再び評価されることとなる。(ちなみに、兜割りに成功したのは正国ではなく業次の作)
史実での関係
日本号と同田貫が一切関係ないかと言われると、実は関係があったりしたり。
日本号の前の主である福島正則と同田貫の刀工を抱えていた加藤清正は、どちらも秀吉の子飼いであり、仲が良かったらしい。(お酒一緒に飲む仲だったとか。)
賤ケ岳の戦いでは七本槍、朝鮮出兵の時も共に出陣。(しかし第二次には以下略)挙句の果てには石田襲撃の企ての時も一緒である。(この石田襲撃のことを七将襲撃事件と呼び、中には黒田長政や細川忠興もいた。)
そんな主がいるのだ、顔ぐらい合わせているだろう。むしろ回想が用意されていたっておかしくない。
しかし日本号の呑み取りの話もあってか、ゲームでは黒田家の回想が用意され、福島正則について等は今のところは無い。
ちなみに朝鮮出兵の時、太兵衛が日本号を持って出陣。多くの同田貫も持ち込まれており、共に朝鮮の地で戦っていたと考えると少々興奮するのではないだろうか。