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概要

韓国プロ野球の球団。

一時期、日本のロッテと殆ど同じユニフォームだった時期がある。

本拠地は釜山広域市

千葉ロッテマリーンズとは同じロッテを親会社とする球団であることから兄弟球団である

歴史

前史

1969年、それまで長年にわたって読売ジャイアンツとコラボ商品を出していたロッテ東京オリオンズのネーミングライツを獲得し、1971年の大映倒産に当たって本格的に球団運営に乗り出すこととなった。この時社長の重光武雄氏は韓国でもいずれプロ野球が創設されることを見越し、その地盤を作っていくことを考えた。1975年、韓国において将来のプロ化を念頭に入れた社会人野球チームを創設、自信がファンでもあり長年提携してきた事もあってチーム名を「ロッテジャイアンツ」とした。このチームはプロ野球発足まで社会人チーム最強とされ、有名な存在となった。

KBO設立

1982年、その予測通りKBOが設立され、ロッテジャイアンツは釜山をフランチャイズとしてそのまま参入しようとした。ところが、KBOはより地域に根ざした野球を指向し、ロッテはフランチャイズエリア出身の選手のみで編成するよう要求された。この結果チームはほぼ一から作り直すハメに陥ったのである。このことが響いて成績は低迷してしまった。

ワンマンチーム

1984年にエースの崔東原によって初優勝を飾った。ところがその後は優勝決定戦に参加することがなく、他のエース選手が出なかったため事実上崔東原のワンマンチームとなって彼の成績に左右されることになった。1989年に労働争議の末崔東原をチームから追放したらチームが最下位となった。この頃はパリーグロッテオリオンズでも落合博満氏のトレード騒動など混乱や成績低迷が起きており一つの企業が二つのプロ球団を保有する困難さが改めて浮き彫りになった。

チーム改革と抵抗

1991年ロッテ本社は二つの球団で大規模な改革に乗り出す考えを示した。日本では九月に来シーズンから千葉マリンスタジアムへの移転と千葉ロッテマリーンズへの改称、新監督の就任が発表された。韓国でも優勝時の監督が復帰し、世代交替を推し進めた。1992年には再び優勝した。ところが一方で労働争議も再燃しチームは再び混乱、翌年には監督を追放しチームも低迷してしまった。その後1998年まで低迷は続いた。1999年には助っ人外国人フェリックス・ホセ選手のおかげで準優勝になったが、2001年には暗黒期に突入。見かねたロッテ本社は翌年オリオンズOBの白仁天氏を監督としオリオンズを模範とした抜本的改革を試みたがこれが火に油を注ぎ、チームは完全に崩壊した。その後、2003年に白監督は辞任したが現在まで長い低迷期に陥っている。

余談

ノンプロ時代から1995年まではユニフォームはオリオンズと同じものを使用していた。現在でも時折水色のビジターユニフォームが復刻企画で使用されている。

現在でもマスコットやチームマークはマリーンズと類似したものを使用している。

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