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業績録(原文)の編集履歴

2017-03-15 15:42:26 バージョン

業績録(原文)

ぎょうせきろく

アウグストゥスが遺言にて掲示するよう示した文書(ラテン語)の翻訳文。「前文」「35章」「4追記」が記されている。 AVGVSTVS ET VOSS!!

RES GESTAE DIVI AVGVSTI


【前文】※1『デェヴィ アウグスティ 業績録』地球司令官市民ローマノ政務官・共和国ローマ市民(統治)経費事実・碑文2枚アエネアスノ地(祖地)二打建テル(パイル)・ローマハ・「原文・諸項目」コレラノ・転写ヲ・オコナッタ


(1)【Ⅰ】『第19歳』、軍隊を私有し、指揮官となる。私(オクタヴィヤヌス)が指令する弾劾盟約(同盟者)によって、共和国独裁党派は破壊され、自由を擁護しえた。この結果、元老院(上院)は政令で、「名誉ある(元老議員)登録勧告」を決議した。ガイウス・パンサ及びアウルス・ヒルティウス統領政府よりローマ統領臨時声明が試行され、私に護民長官を命じ、与えた。共和国は、これ以上損害を被ってはいけない。私は、政府関係閣僚(プロプラトエル)達と共に、統領・領事らの任命・人事。市民(民会・下院)は、同じ年、私をローマ統領に。統領達は、各地の戦争で、失われてしまった。よって、『3大統領共和国政権』(三頭官)を設立。


(2)【Ⅱ】 誰が、私の父(ガイウス・ユリウス・カエサル)を殺したのか。 それらに追放・排除を決議決定した。重大な罪を犯した、彼らにである。後日、彼らは、(ローマ軍との)戦争によって敗北したことを、共和国が報告しました。


(3)【Ⅲ】『戦争は、地球、海、外国全て、地球世界で度々行われた。』完全勝利し、全て恩赦した。救済住人は共に感じいった。外国世界の全てと和解できた。(ローマ軍に)保護されることは、免れることが望ましい。数千万の市民ローマ人の下、※1神聖な誓いをした。私の周りを巡回する神の従士達。世界中に住んでいる、コロニー市から、送金された。(税金)「ローマ市民権を持つ都市」への独自の奨学金(給与金)、3000千万枚(貨幣)を。私は、それらに世界全土に割り当てました、私(の軍)の兵役のための報酬のために。追加。押収した、海軍艦(ネイビー)は、6隻。あと、少数・未完のガレー船、小型の。


※3-1 サクラメント



(4)『2回。略式凱旋式、勝利の行進』、3回。私は「政治長官の椅子(トリム)」。今は昔、かつて、私は「インペラートル」と21回、呼ばれた。元老院は「もっと勝利のために」と私に決定した。そこの全ての月桂冠を束幹して、キャピタル聖堂へ寄贈。戦争の誓願選挙(ローマ式ルーレット※1)は、名指しで指名された者は出撃した※2。なぜ、やっかいなことを、私がする。私にあまねく公使達(レガトゥス)が、鳥の飛行での占いによって「私が世界と海洋にオイテ成功し、諸外国も50・50二」と政令公布。元老院は願い出て、「第1人者」(エース・ESSE)を与えた、、、無期限貸与で。「専制は害」と、元老院(上院)とローマ統領に、嘆き返した。約、890回 (DCCCLⅩⅩⅩⅩ)、私の指揮で勝利。寝家での、自由日9日・・・。ローマ統領 保有13回、書記官が書く私(サイン)。「第37回 3大統領・最高護民長官」(AD.14)


※4-1 願いは「(死にたくないから)当らないでくれ」に決まっているだろうが。

※4-2 AVGVSTVS ET VOSS!!


(5)【Ⅴ】『独裁政治が存在し、私(オクタヴィヤヌス)が首班』と、上院市民民衆党※1が。マルクス・マルケルス及びルシウス・アールユニトス ら、ローマ統領政府(2人)に不就任。『イラナイ』私が、拒否したもの、「国家穀物供給(法)・小麦バスケット籠最高長官」及び「迅速少数管理(法)・全市民・危険・救済・経費・(最高)手配事務官」。ローマ統領政府(2人)の運営は、例年通り。と私は報告し、不受理。


※5-1 A POPLIO ET A SENATV 元老院市民民衆党、ポプリ党。野党


(6)【Ⅵ】『元老院(セナートス)において『地位は存在しないが、(ローマの)法律とモラル(倫理)に対して、最大の権力をもつ『最高のトリブルス(護民官(元首)』を、1つ作成することに全会一致(合意)した。』(私は)同僚(の政治家)達から自発的にそれ(最高の護民官・トリブキアエ・ポテスタキース)になるよう言われました。(しかし私は4度断りました)。5度目の時に全閣僚(ローマ政府)と全上院議員(元老院・セナートス)のから要求されたので、私はそれを(最高の護民官・ローマ帝・ローマ皇帝)受け取り、完全にそれ(ローマ元首)に就きました。「※元老院とローマ市民(S・P・Q・R)※2」の政府閣僚(マギストテリアル)の、マーカス・ヴィシニウスとクィントゥス・クレティウス、プブリウス・レントゥルスとグエナウス・レントゥルス、パウロ・ファビウス・マクスムスとクイントゥス・チュベロウス らローマ統領(コンスル)達らは先祖時代(共和制ローマ)の時の閣僚のルールや慣例を逸脱していないことを私は確認しています。


※2(SENATV POPVLOQVE POMANVS SPQR ローマ帝国の正式名)


(7)【Ⅶ】『3大統領共和国政権』の1人として10年続投し、『元老院の第1人者』(肩書)の氏(M・A・レピドゥス)は、亡くなるその日まで、40年間。(タイトルを)書かれたのであった。ローマ神話教皇(国家元首)・鳥占技官(副国家元首)・15の会議と7の神聖な儀式を主催する完璧な賢者(アルヴィス)・偉大なる軍人にして修道士・私の同士でした。


※7-1 M・A・レピドゥス(BC90-BD12没 77 )ローマ三大統領・最高司祭(教皇・国家元首)アウグストゥスはAD14年.76で没 全権を持ったのは約26年。


(8)【Ⅷ】『伝統ある、専門計算家の補佐をうけて、ローマ統領は、第5ヵ年毎の指令を、市民(民会、下院)と元老院(上院)へ。』元老院(上院)から3回、ローマ統領に選ばれた。6回国勢調査は開催された。(約6年おき) 閣僚としてマルクス・アグリッパと私(ユリウス・カエサル・オクタヴィヤヌス)の調査と、あと、他の調査したものを。私の40年のうちの。(アウグストゥス政権)ローマ市民の、元気な若者の数を調査を。(第1回.BC28年)総人口1.000千億人(M)のうち60億人〈M・LⅩ・MMM〉※8-1 続いて、再度、私(ユリウス・カエサル・オクタヴィヤヌス)は単独で指令をし、調査を。ガイウス・センソリアヌス及びガイウス・アシヌス統領政府(第2回.BC8)ローマ市民の、元気な若者の数を調査を。 総人口1.000千億人(M)のうち230億人〈M・CCⅩⅩ・MMM〉 3人のローマ統領が、指令を。調査閣僚は、私の息子ティベリウス・カエサル(ⅡCAESAR)、セクスティウス・ポンペイウス及びセクスティウス・アプリティウス統領政府 (第3回.AD14)ローマ市民の、元気な若者の数を調査を。 総人口1.000千億人(M)のうち937億人〈M・MCⅩⅩ・ⅤMMM〉 法制は新しくなった、私は著者として発行した。多くの例(法)において、粗悪となった多くのいろいろな知識・例(法)は。今の私たちの世代の形に再生したと、宣言する。多くの物事・例(ローマ法)を模倣できるように、後世に配信した。


※8-1 ローマ数字表記、「億」のところは「万」。MMMMMMMMMMM・・・ローマ帝国の総人口、クレムリンの城壁の所を思い出した。


(9)【Ⅸ】『5ヵ年ごとの元老院(セナートス・上院)の政令布告式は行われます。』その誓い(公約の式典は)、ローマ統領(コンスル)と旧ローマ神話司祭(サチェルドス)達が私の体調に合わせて行ってくれました。また、これらの誓いの履行(公約実現)において行われた、パーティゲームでは。旧神話司祭(サチェンドス)が(経営する)4つの著名なカレッジ(聖堂の会場、現訳大学の講堂・大会宮殿)に彼ら(元老議員)や、時には、ローマ統領(コンスル)が主催して行われました。また、両方の個人(男女のローマ市民)や全ての市民(下院会議・コミティア)は全会一致で「私の健康の継続」をパンテオン(万神殿)で全員で祈ってくれました。


(10))【Ⅹ】 私の名前が、元老院(上院)にて、ローマ統領に載せられた。私は連続神託の儀を行った、汝らは、私が生存している間は、永遠不可侵の最高護民長官であり、私の精霊を神格化した。※1ローマ神話教皇?、生きているうちは不要である、私は閣僚代理である。「国民の守護聖職者」を保有していた、我が父君は横になった、守護聖職者という物はない。なぜなら、死んだからだ。なぜ、死んだのか?と、私と市民(軍団)たちの運動は、好機を掴み取った。突如、イタリアの民会(下院、コミティア)で私は、民衆と合流した。どのように? ローマでの(開催)期限の前に、受信を受けて、報告されたからです。プブリウス・スルキピウス及びガイウス・ヴァルギリウス統領政府から。


※8-1 ポンティフィカル・マクシムス、ローマ神話の最高司祭(教皇)、祭祀王、国家元首

※8-2「神なるローマ皇帝は、天から白馬に乗って地上にまいおりた~」になるのは、後年代。


(11)【ⅩⅠ】クィントゥス・ルクレティウスとマルクス・ウィニキウス ローマ統領年(コンスル)、(私は全軍指令(インペラートル)として、ローマ軍を率いました。そして、私とローマ軍は)シリア州(ローマ領)から(離反していた)都市(ポリス)を奪還しました。(私は任務が終わって)帰国しました。(その後、)「名誉と得の神殿」の「フォルトナ女神を引く駄載ロバの祭壇会場」にて元老院(上院・セナートス)の閉会式が行われました、(司会は)国家最高司祭(ポンティフィクス・マクムシス・教皇)(マルクス・レピドゥスに代わって、オクタヴィヤヌス)がウェスタ(ベスタ)女神の処女(神官)(ヴァージン))に命じ行われました、(同時に)※『1年間の捧げ物の記念日式典』も行われました。この日(項以降)は私は「アウグスタリア」(AVGVSTALIA)と呼ばれるようになりました。※XI1


(12)【ⅩⅩⅡ】『元老院権威局の高官である』 副ローマ統領(4人)、らや、護民長官(10人)と共に、ローマ統領クイントゥス・ルクレティウスら第1人者達は、私に会いにカンパニア州まで会いに行きました。この名誉ある事、副ローマ統領は駆け足で、神殿へ、私に報告しました。ヒスパニア(現:スペイン)とゲルマニア(現:ドイツ)は、共にこれから。『地方化』してゆくことに成功しました、これらの物事は歴史に。私は(オクタヴィヤヌス)はローマに帰還した。ティベリウス・ネロ(II Caesar)とプブリウス・クインティルス・ヴァルス統領政府(BC13)アウグストス平和祭壇で、元老院(上院)は、私が戻ってきたことを、奉献していただいた。元老(議員)達はマルス広場へ。そこで彼ら政府閣僚は、聖職者ベェスタの処女を、定期式典の犠牲となる人種の割り振りを。


(13)【ⅩⅢ】『ヤヌス・クイリヌス神のインペラートル(帝権)によって』先祖(神代の共和制ローマ)と同じように。私たち『テラ(TERAA)と海洋マリーク(マリーン)(MARIVC※18-1)』のローマの人々及び、共和国全体の防御(現実世界では総力戦体制)を行い。(我々の)勝利は確定されました。平和(PAX、ピース・ピウス・パックス)、私(オクタヴィヤヌス)が生まれる前については、ローマ建国(BC753年)から、2度総力戦防衛をしたことがあり、2回閉じられたことがあります。と、元老院(上院・セナートス)のメモリ(記録)ではあったと報告がありました。私の公布で3回目です。(総力戦体制の終了・門を閉鎖する事※18-2)


18-2 海の意。マリーク(MARIVC)=Marine(マリーナ・マリーン)

18-2 ヤヌス神殿の門を閉じるアウグストゥス帝という題材で有名。


(14)【ⅩⅣ】『私の可愛い息子達』幸運で名誉あるガーユスとルキウス・カエサルと同級生の少年たち(親衛隊少年団、ユーベント>ユーゲント)、少年(ガイウス、ルキウス)は14歳の時に私に変わって、5年後閣僚(マジストテリアル)に明記(就任)する前に準備として「副ローマ統領(予定執政官)」に就任しました。彼らはフォーラム(公会広場、コミティア、市民会議(下院)会議場)に案内された日から、(下院会議)に参加する必要があります。(下院会議)で彼ら(ガーユスとルキウス)と同級生の若者(親衛隊少年団)らにローマ軍騎兵と同じ銀の盾と槍の作品(記念としてプレゼント)する事を決議しました。その事は※ローマ・ユニバーシニティ(ローマ公園・公会堂。現訳:大学(ローマ大学))※3に記録してあります。


(15)【ⅩⅤ】『市民ローマ成年男子1人当たり』、300枚(貨幣)会計分、父君の遺言から。あと、私から指名した4ジェノス氏族への、戦争の戦利品を「第5回 ローマ統領時」に与える。(2回目)今現在、「第10回 ローマ統領政府」、私の世襲財産から、4ジェノス氏族の自治会議の成年男子1人あたりに、1年分会計(貨幣)。(3・4回目)「第11・12回 ローマ統領時」、食料無料供給制度法の小麦を個人的(特別会計)で、購入し、測定。(4回目)また「第18回 最高護民長官時」、4ジェノス氏族のうち、3(氏族)に資金を成年男子1人当たりに与えた(5回目)。(6回目)この私からの、贈り物を彼らは、持っています。数千の人々に、決して少なくないぐらい、5年・5年ごとに、200枚(貨幣)「第18回 最高護民長官、第12回(ⅩⅡ)ローマ統領時」、約1千万人の都会の民衆に、60枚・デリナウス銀貨を、成年男子1人当たりに与える。(5回目)あと、コロニー市の数千に、私が「第5回目 ローマ統領時」(7回目)、から。戦利品の成年男子各1人を、数千人へ。コインになる並外れた(美少年・好男子)を。ああ、解っかりましたよ♥。「同じ品者(美少年・美青年)」の「勝利記念品」を100のコロニー市の人々、2千人へ♥。(8回目)「第13回目 ローマ統領時」、デリナウス銀貨・60枚を人々へ、他、食用とうもろこしの公共配布をあげる。これを、数千の人々。さらに、200人にね。



(16)【ⅩⅥ】


(17)【ⅩⅦ】『私は「上院財務長官」(閣僚。セナトス・クワァエストル)を4度就きました。』私が給料を与える存在(スタッフ)は500~1000人とか沢山いました。その中で、マーカス・レピドゥスとルシウス・アルキオーはローマ統領(コンスル)を17回も就き、長い時間(17年)も私の業績を上げてくれました(支えてくれました)。私のアドバイス(助言)によって設立されたローマ軍の金庫についてですが、20年以上(25年)務めた兵士に対してそこの(金庫)から支払われるべきであるという事です。


(18)【ⅩⅧ】『カエサル年(S・P・Q・R独裁官カエサル政権・元首政治成立年)から長い月日が立った。』 ローマ統領(コンスル) プブリウス・レントゥルスと私(アウグストゥス・オクタヴィヤヌス)の 年 (カエサル年以来の共和国の)多くの税(税制)「お金や穀物」をさらに(工面できるように。)これからは、100,000人(10万人・数十万人)ほどの多くの男性(労働者)(に対して)「私の穀倉地帯(皇帝属州」の「歴史的遺産」を(生活や仕事で)使えるようにローマ統領が(政令で)開放させました。


(19)【ⅩⅨ】『常設政府の大会堂』(ローマ政府庁舎・正式名称) 『パラティヌス(丘) アポロニウス聖堂』(アポロ神)と『ジュリアス神聖堂』(ユリウス・カエサル)のある回廊、「ルカペリアル(豊穣式典)」(の場所は)、私(内務長官・アエディリス※12-1)は、かつて彼(ケルクス・フラミニウス(第9地区))が以前に立てたもの(旧フラミニウス・サーカス場(円形闘技劇場))を、(新たに建て)再び、彼の名前を冠させて呼ばれるようにした『フラミニウス・サーカス場』(円形闘技劇場)、『オクタヴィヤン柱廊』※12-2にあるすばらしい『サーカス場とボックス席』(観閲席付き円形闘技劇場)、『パラティヌス(丘) 雷鳴ヨウィウス雷帝神聖堂』(ユピテル神)『マルセイユ聖堂』(マルス神)『アベンティーノ(丘) ミネルヴァ聖堂』(ミネルヴァ女神) 神皇后ジュノー聖堂(ヘラ女神)』聖なる道添いの上にある『ラレス聖堂(ラレス神)』『ヴェリア(丘) ぺナーテース(守護神)少年合唱団の聖宮殿』『パラティヌス(丘、現訳・首都・国会議事堂) 偉大な国母神聖堂(キュベレー女神』


(20)【ⅩⅩ】


(21)【ⅩⅩⅠ】


(22)【ⅩⅩⅡ】


(23)【ⅩⅩⅢ】


(24)【ⅩⅩⅣ】『この神殿全て、都市の一般市民は。アジア州統治者が勝利し、征服した。』※24-1 装飾品(金芸術品)、休息用の虹彩を添える人間(白人美少年・美少女他.)も交換され、神殿は略奪された。戦争処理のために個人(属州総督らの)の所有とした。私(オクタヴィヤヌス)や、(ローマ軍)歩兵の彫像。また、戦車の像、銀でできた立像が。(首都ローマの)街に約25基ありました。これらは、彼らに撤去させました。(私は)黄金をアポロ聖堂に贈り、私が指名した「彼ら」や「私」で名誉あるポーズ※24-2をとった彫像のために、以下の資金源にしていただけるようにしました。


※24-1 ローマ州領事・属州総督 アジア州(フリギア州.現トルコ)

※24-2 プリマポルタのアウグストゥスなど



(25)【ⅩⅩⅤ】


(26)【ⅩⅩⅥ】『私たち(ローマ政府・イタリア国・S・P・Q・R)のルール(直接統治)の対象とならない国々』との《ローマの人々》(共和国全体)の全ての州(属州)について。(まず)「ガリア(州)」(現:フランス・ドイツ)から「ヒスパニア(州)」(現:スペイン、エスパニャ)を通る「エルベ川」の河口にあるカディス市(ローマ艦隊基地)と同様に「ゲルマニア(州)」(現:特にドイツ全域)から「トスカナ」(イタリア国地区)「アドリア海」は全て平安にされています。私(ローマ政府)からは、全く不当なる戦争は。いかなる国家(外国)に対して繰り広げたことはありません。(その証拠として)私(アウグストゥス)の艦隊(ローマ軍艦隊・ガレオン船軍艦)は、この『ローマ世界』がそれ以前の時代に行ったことがなかった。『キンブリ族国』(ゲルマン族1派)のいる、(ローマでもゲルマンでも)〈どちらのものでもない海〉(オーシャン)の〈境界から東の領土〉にライン川を(ローマ軍艦隊は)通って航海しました。そして、「キンブリ族」と同じ領土人である「セムノネス族」「カリュデュス族」ほか、他の『ゲルマン国民』(諸民族)に対し、【ローマの人々の親善の誓願】を私(アウグストゥス)が(ローマ側代表)とした外交士官(レガトゥス)が(ゲルマン国民)に手渡しました。私(アウグストゥス・全軍司令官)は保護領(アラブのローマ州)から(救援)要請を受けたので、私(全軍司令・インペラートル)は『2個軍団』(デュオ・エクセルキス)を(敵国>ISILである)「エチオピア王国」(現:エチオピア)と「デーモン教地帯のアラビア」(異教の地域)※26-1に出勤させました。敵国(武装集団>ISIL)の軍隊は、(ローマ2個軍団)との戦闘で大虐殺されました。(ついでにローマ2個軍は、アフリカの)「エチオピア王国」(アフリカ・現エチオピア)、「メロエ(メロエ王国・旧ヌミディア王国)」などの町を合法的に全て多くの町を占領し(人々を)捕獲した。(対して)アラビア軍(アラビア・エクセルキス)は、「マグリブ地方」(現:チェニジア、アルジェリア、モロッコ、リビア、モーリタニア、西サハラ)から「セバトルム(シバの女王国・シバ女王国)、まで進撃した。※26-4


(27)【ⅩⅩⅦ】


(28)【ⅩⅩⅧ】 私(アウグストゥス・内務長官)が住んでいるのに、イタリア(ローマ本国)の人口は非常に多く、混雑しているので(イタリア)にある28都市(コロニー市)を、私(アウグストゥス・内務長官)の権限で(ローマの各州)に以下に移転させました。アフリカ州(現:リビア・アルジェリア)・シチリア州(現:シチリア島)・マケドニア州(現:マケドニア)・ヒスパニア各州(現:スペイン・エスパニャの全土)・アカイア州(現:ギリシア全土)・アジア州(現:トルコ西洋側半分)・ガリア州(現:ドイツ・フランスの全土)・及びピシディア市(アカイア州デルフォイ共和国市(都市国家))これらの(都市)には軍兵士(警察兵)がいます。(駐留)※28-1


※28-1 治安維持はしてある。


(29)【ⅩⅩⅨ】


(30)【ⅩⅩⅩ】『パンノニア(オーストリア・ハンガリー)の人々について』 私(全軍指令・インペラートルは、(ローマ軍の)目の前(現場指揮)に行く事はありません。(その代わり)「第1市民 ローマ軍司令長官 ティベリウス・ネロ」(2代ローマ帝)30-1を通じて征服されました。(パンノニア(オーストリア・ハンガリー)征服完了)その後、(私は)義理の息子(後継者・養子(ティベリウス※))に「代理使者 ローマ市民(全政府・全軍)副司令官 (副ローマ帝)」(ノ地位)を(逓信※30-5で)付与させると。ドナウ川(ブルガリアかオーストリア)の兵舎(ローマ軍基地)に派遣した。ネロ(ティベリウス)はイリュリクムまで(S・P・Q・R)の国境線(リメス)を(戦力)で拡張した。(旧ユーゴスラビア征服完了) 私(本国の全軍指令・インペラートル)からの後援(軍隊・艦隊からの補給)を受けた後。プロフィルグラトスキュ(ティベリウス配下の地方ローマ軍左右両翼軍隊)ダキア人の軍(ルーマニア)と交戦し(白兵戦)、破った。我が軍隊(エクセルキスは、(ダキア軍を駆逐しながら)にドナウ川を横切って進軍した。(そして)『ローマ市民の政府』の前にダキア人たちを、ひざまつかせ(完全敗北)させた。(そして、ローマ政府はダキアの)完全支配に入りました。(ダキア(ルーマニア)征服完了)


※30-1 第1人者(プリンペン・ポプリ)


(31)【ⅩⅩⅩⅠ】


(32)【ⅩⅩⅩⅡ】


(33)【ⅩⅩⅩⅢ】


(34)【ⅩⅩⅩⅣ】 (小生が)「第6回目」及「第7回目」のローマ統領(コンスルだったとき、余はM・アントニウス>マルクス・アントニウス一派がローマ共和国全土の)戦争を追い出させた。(終結)ソノ後、兵士たるローマ市民(CIVILA・シビリア)(下院・民会)の「普遍的同意(全会一致)」によって。(市民達)は全て(ローマ共和国・帝国)全てを取り戻した。『元老院とローマ市民政府』(S・P・Q・Rローマ政府)の余の長期にわたる見事な政権体制(元首政治)は、価値あるものとされた。「このため『余』は『アウグストゥス』(AVCVSTVS)と元老院(上院・セナートス)から呼ばれていたワ。」 我の邸宅(パレス)の前の玄関前(ドアポスト前に集まった。月桂冠を冠し正装(トーガ)をした。「ローマ市民」(名士層・中間層・ローマ親衛隊(プラトエアー二)・親衛隊少年団(ユーゲント))が(我が作成させた)『美徳・慈悲・正義(が冠された)金の盾(作品)』 を(我の邸宅の)玄関前(ドアポスト)前から(運び出し、) 『元老院とローマ市民』(世界全土のローマ政府の中枢)※34-1である。「ユリウス上院」(元老院議事堂)の上に配置した。 ソノ後「ローマ市民」。「ローマ市民」(名士層・中間層・ローマ親衛隊・親衛隊少年団)達は、その≪盾(シールド)の碑文≫への信心深さを証明した。小生の期間(アウグストゥス政権)の間の(社会への)全ての影響力については、小生の政府閣僚(マジストラトス.MAGI)、余の側近だった他の者たちより、多くの権力(ポテスタス)は(小生には)ありません。


※34 CV 稲垣隆史

※34-1 SENATVM POPVLMQVE ROMANVM=(元老院とローマ市民.国号)


(35)【ⅩⅩⅩⅤ】


APP(追記)(byティベリウス帝)


APP・I 彼(デゥヴィ・アウグスティ様)ハ・『国庫』(国庫庁)・『ローマ市民』(下院会議)・『ローマ軍兵士』(兵士下院会議)二・権利ヲアタエラレ・(ソレラニ)必要ナ全ノ出資ヲ・数エ切キレナイホドノモノヲ・出資サレマシタ。


APP・II 彼(ディヴィ・アウグスティ様)ガ御建設サレマシタ御作品群(建設物等)・『マルス神』(農業軍神)・『威し文句(雷鳴)の酷い雷帝神(ヨウィウス・トナンス・フェレット※II1)『アポロ二ウス神』(アポロ・青年主人公神)・『ジュリアス神』(ユリウス・カエサル)・『ミネルヴァ女神』(職業神)・『神后ジュノー女神』(神々の女王)・『リベルタス・ヨウィウス※II1』(解放者ユピテル大神)各神々ノ聖堂、『「ラレス神&ぺーナーテス神(両守護神)と偉大な国母神の合同ルカペリア(豊穣祭)式典少年合唱団』ノ為ノボックス席付き館サーカス場(観閲席付きスタジアム)、元老院大会堂』(カルコルム・上院議事堂)、『アウグストゥス聖堂』ト付属の『フォーラム』(広場)、『ユリア公会堂』(バシリカ・下院議事堂)、『マーセラス・オペラ』(劇場)ト『オクタヴィアン柱廊』、(革命発祥地デアル)テヴェレ河川全域のカエサル(記念樹)の植林地。


APP・III 彼(ディヴィ・アウグスティ様)ハ・『国会議事堂』(カピトリヌス)・『82個ナンバリング(シリアルナンバー)のある、サクラメント(聖餐)聖堂』・『ポンペイウス水路』・『フラミニア街道と『(フラミニア街道と他の街道の)休息館』ヲ再建サレマシタ。


※II1 ローマ神話の主神ユピテル(ギリシャ神話ゼウス)の別名

※II2 キュベレー女神


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