概要
『文豪とアルケミスト』に登場する「正岡子規(文豪とアルケミスト)」と「森鴎外(文豪とアルケミスト)」のカップリング。
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史実・ゲームにおける二人の関係性
(以下ネタバレ注意)
ゲーム
・双筆神髄
生前結核を患っていたためか、鴎外が子規を気遣う表現あり。
・手紙
鴎外から子規への手紙。子規は鴎外の句を厳しく批評しているようだ。
・回想
「舞姫」
日清戦争の際に一週間にわたり毎日子規が鴎外のもとを訪れた逸話に触れている。
「坊っちゃん」
夏目漱石を加えた三人の回想。転生した感想とこれから何をしたいかを口々に語っている。
史実
史実では前述の日清戦争(明治二十八年五月)が初対面だと思われる(鴎外は軍医として、子規は従軍記者として出征)
その後明治二十九年一月に子規の自宅(子規庵)で催された句会に鴎外が出席(このとき漱石も居合わせ、三人が揃った最初で最後の場であるといわれている)、鴎外が主宰した雑誌「めさまし草」に子規が参加するなど盛んに交流している。
お互いの自宅を何度も訪れたり、病状の芳しくない子規を慰めるために鴎外が草花の種を贈ったという。また双方の手紙のやり取りから、俳句や古語の用法などについて議論していた様子が窺える。
子規の病状の悪化と鴎外の小倉赴任のため明治三十二年以降は殆ど交流が見られないが、明治三十四年に子規が小倉の鴎外に年賀状を出していたり、子規が亡くなる一月前に鴎外の著書「審美綱領」を読んだ感想を随筆に記している。
子規没後の明治四十年には、鴎外の自宅で催された歌会(観潮楼歌会)で鴎外が頻りに子規の話をするので、その場にいた伊藤左千夫(子規の弟子)が逆に気を使ったという逸話も残っている。