小さくなった大英帝国
第二次世界大戦終結後、アジアやアフリカの植民地では民族自決の機運が高まり、各地で紛争が頻発するようになった。中でも決定的だったのはインドである。ここが「決してイヤとは言えない」形で独立したおかげで、各地で同様の運動を再発させた。
このため、イギリスはあちこちの植民地でも押し切られて独立を認めることになってしまい、この清算のために債務国へと転落することになった。以降のイギリスは植民地から得られる収入を失い、むしろ慢性的金欠に陥ってしまう。「太陽の沈まない帝国」は、とうとう自身さえ支えられなくなってしまったのだ。こうした皺寄せは軍事にも及び、1957年には防空のすべてをミサイルに置き換えて無人化するという政策を発表し、「東西冷戦の軍備拡大にはもうついていけません」という、いわば無条件降伏を宣言してしまう。
もちろん、こうした降伏宣言は西側諸国を突き崩す突破点になりうる。
しばらくして間違いに気づいたイギリスはこれを取り下げ、再び軍備競争の一線に出ていくことになる。だが、この空白は大きな失点になってしまい、技術的にはまだエンジン分野で頑張っているからともかく、資金的にもはや追従できなくなってしまった。
「お金がない!」
こうした切実な要求は軍備にもおよび、空軍では操縦士の訓練を合理化することで、少しでも安上がりに済ませることが構想された。そのカギが、このBAeホークである。
超音速に背を向けて
その当時、ジェット過程の飛行学生は進度に応じて、数種の違うジェット機を使って訓練を行っていた。
まず飛行機の飛ばし方を学ぶ基礎教習はBAC「ジェットプロポスト」で、高速機に慣れる訓練としてフォーランド「ナット」を、実戦的な訓練にはホーカー「ハンター」という具合である。しかし、こうした訓練課程は細やかではあるものの、ムダが多いのも事実であった。
そこで70年代末にはナットとハンターによる過程を統合し、一つの練習機で済ますという構想が建てられた。当初はSEPECAT「ジャギュア」練習機型を充てようとしていたが、超音速機なので経費が掛かりすぎると判断されてしまった。
前述したように、イギリスにはお金がない。
国内政治は当然のように資金削減を求めてくる。
既存の機では高くつきすぎる。そこで、練習機は新規に開発しようということになった。