方谷駅
ほうこくえき
概説
1928年(昭和3年)の伯備線延伸(備中川面-足立駅 延伸)時に設定・開業された駅。
新見駅による簡易委託駅だが、現在は営業は行われておらず半無人駅化している。
「方谷」とは幕末の備中松山藩(現在の高梁市)にて藩政改革を行い、様々な産業振興を行って借金まみれだった藩の財政を健全化させた上で、人々の暮らしを改善させた地域の大改革者である山田方谷にちなむ。現地は、かつて方谷が私塾(長瀬塾)を構えた場所であり、周辺にはその跡を示す記念碑などが残る。
山田方谷は明治期に岡山・総社から松山往来(現在の国道180号)に沿って鉄道を通す素案(現在の伯備線に繋がる考え)を提言していた人物のひとりでもあったため、その功績を称えるために設置された駅でもある。
現在、駅構内の一部分は山田方谷の資料館である「方谷駅資料室」となっており、山田方谷に関する関連資料の展示が行われている。
駅舎は国指定の有形登録文化財。また2014年秋アニメとして放映された『愛・天地無用!』の聖地(ロケハン舞台地)として採用されている。
また長瀬塾は河井継之助の生涯を題材にした、司馬遼太郎の小説『道』の舞台地のひとつ(河井は方谷門下のひとり)であるため、方谷駅の周辺は同作の聖地でもある。
方谷駅から高梁川の対岸に渡った国道180号上には河井継之助が方谷の下を去る際に、師・方谷のいる長瀬塾に向かって三度の礼を行った「見返りの桧」がある。
駅名について
旧国鉄時代(しかも戦前)から存在する駅においては希少とされる人名由来駅名を持つ駅である。これは当時の地元民からの請願によるもの。
しかし、当初、国の鉄道を管理する鉄道省はこの請願を跳ね除けて町字名である「中井駅」とすると決定し、重ねて「人名を駅名とする事は認められない」と通達した。
それでも駅名に方谷の名を遺したい高梁の人々は、方谷が三島中洲(明治時代の漢学者。東宮御用掛にも任命され、当時の天皇家に漢学を講じた二松學舍大の設立者)の師である事などを伝えて方谷の功績をアピールして特例を願い出たが、結局は認められずに頓挫する。
新駅開業が迫る中、それでも諦めきれない高梁の人々は一計を案じた。
駅ができるのは中井町の西方(にしかた)という小字。そして駅の現地は川辺であるために谷である。
すなわち駅は西方の谷(にしかたのたに)である、これを縮めて方の谷(かたのたに)であり、この読み方を音読みに変じて「方谷(ほうこく)」と称する、ゆえに「方谷とは地名である」とし、周辺地域で示し合わせてでっち上げの地名を主張したのである。
このレトリックを用いた強い主張に、ついに鉄道省は折れて「地名ならば認める」として方谷駅は現在の駅名となったのである。
しかし、この駅名がついた経緯は上記の通りなので、国鉄が民営化してJRとなった現在では住民たちの当初の願い通り「方谷駅は山田方谷に由来して名付けられた駅である」となっている。