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三島中洲

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みしまちゅうしゅう

文政13年~大正8年 幕末・明治の漢学者。名は毅、字は遠叔。中洲と号した。教育を重視して二松学舎を創設した。

概要

備中(岡山県)の人。

山田方谷斎藤拙堂らに学んだ後、江戸に出て昌平黌に入り、佐藤一斎安積艮斎に師事した。

30歳で備中松山藩に仕え、有終館学頭となる。

維新後は政府の大審院判事に取り立てられたが、明治10年、官を辞して麹町(東京都千代田区)の自宅に漢学塾二松学舎(二松学舎大学の前身)を創設。

東京高等師範学校・東京帝国大学教授なども務めた。

明治28年3月からは東宮侍講に着任し、皇太子(後の大正天皇)に漢詩の指導をした。

『詩書輯説』『論学三百絶』『中洲詩稿』『中洲文稿』などがある。

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