この会社は中國鐡道株式會社にルーツを持つ。名前の通り鉄道会社で現在の吉備線、津山線にあたる2つの路線を持っていた。しかし戦時中の鉄道国有化によって鉄道事業からは撤退してバス専業となった。
主な路線は岡山市・倉敷市・総社市・吉備中央町(もう少しだけ限定的に言うと国道53号と国道180号の沿線)に展開しており、最盛期に比べると大幅な縮小となっている。
過去には津山市および鏡野町周辺域にも路線を持っていたが、人口の減少などからこの地域の赤字路線が増加したため100%子会社である中鉄北部バスを設立し路線を移管させた。
岡山県は中小のバス事業者が多数ひしめき合う関係上、バス会社同士の関係が良好と言えない部分があったが、モータリゼーションの進行に伴う乗客数減少により現在は協力関係をある程度結ぶようになっている。
テレビせとうちの開局にも一役買っているが、中鉄バスの経営難により保有株式の全てを山陽新聞へ売却したため現在テレビせとうちとの間に資本関係はない。