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松木安太郎の編集履歴

2018-12-21 20:05:40 バージョン

松木安太郎

まつきやすたろう

松木安太郎は、日本のサッカー選手・指導者・解説者。

概要

1957年11月28日生まれ、東京都中央区日本橋出身


実家は明治2年創業の老舗のうなぎ屋「近三」で、祖父・松木喜一郎は「葵龍(あおいりゅう)」のしこ名で十両を6場所務めた大相撲力士だった。因みにひ孫の松木柊斗(安太郎のいとこの子)も「貴大将」の名で力士をしている。


小学校時代からサッカーに打ち込み、当初はゴールキーパーだった。

小学6年生の時には全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場、中学進学と同時に読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ1969)へ加入。

高校1年の時DFへコンバート。翌年にはトップチームへ昇格し、読売クラブでの練習が多忙になると諸中暁星高校(幼小中高一貫教育の学校で小学校からずっと通ってきた。)から堀越高等学校に転校。

高校卒業後は日本体育大学体育学部体育学科へ進学したが3年の途中で中退。

(2014年3月10日に中退していた日本体育大学から特別卒業認定を授与された。)


1976年に日本サッカーリーグデビュー。

1983年からは主将としてチームを牽引し、日本サッカーリーグ優勝3回(1983年、1984年、1986年)、天皇杯優勝3回(1984年、1986年、1987年)、JSLカップ優勝1回(1985年)に貢献。


日本代表としては、1984年5月のジャパンカップ(キリンカップサッカーの前身)で代表に初選出され、同月31日の中国戦で国際Aマッチデビュー。右サイドバックのポジションを掴み国際Aマッチ12試合に出場した。


現役引退後は読売クラブのコーチに就任。1993年、Jリーグ開幕直前に35歳と言う異例の若さでヴェルディ川崎の監督に就任。

しかし開幕前のゴタゴタでサントリーシリーズ(1stステージ)はスタートダッシュに失敗、鹿島アントラーズに優勝を譲ることになったがNICOSシリーズ(2ndステージ)では、チームを優勝に導いた。鹿島アントラーズとのチャンピオンシップでは、1勝1分で初代王者となった。

翌年も前期戦は不調に終わったがシリーズを制し、チャンピオンシップではサンフレッチェ広島を退け2年連続の王者となり、その後シーズン限りで退任した。

1998年にセレッソ大阪監督に就任するが成績が上がらず1年で退任。

2001年、東京に移転した東京ヴェルディ1969監督に再度就任したものの、成績が上がらず半年で解任。


明るい性格から現役時代は「読売クラブの宴会部長」とも言われた。

解説者としては初心者にもわかりやすいことから定評があり、情報番組のコメンテータ-も務めたりしている。


変わったところではテレビアニメの声優もしている。

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