ワイアット・アープ
わいあっとあーぷ
ワイアット・アープとは西部開拓時代に活躍した保安官。
概要
生没年:1848年3月19日 - 1929年1月13日(80歳没)
北米イリノイ州の生まれで、20代の頃にバッファロー狩りで生計を立て、この頃からガンマンとして名を馳せた。
保安官になったのは1875年の事だが、諍いを起こして解雇されており、カンザスで保安官助手として復帰した後もその荒々しさは変わらなかった為、カンザスを追い出された。
その後はアリゾナ州トゥームストーン農業を営む一方で、賭博場と売春宿を経営し、1881年に「OK牧場の決闘」を起こす。兄で同じく保安官のバージル、友人のドク・ホリデイ、モーガンを連れてカウボーイズに武装解除するよう迫るも、撃ち合いになった末に全員殺人罪で起訴されたという事件である。(結果的に無罪になったものの、カウボーイズなどの闇討ちが続いた。)
晩年はロサンゼルスに移り住み、親交を深めた映画監督の西部劇制作に影響を与えたという。
保安官という役職故に多くの映画でヒーロー視される事が多い一方で上記のような保安官らしからぬ粗野な振る舞いも見られており、本当に正義の味方であったとは言い難い。
愛用していた銃はコルト・シングルアクション・アーミーの中でも長銃身な「バントラインスペシャル」をしようしていたと言われているが、本当に使っていたかは謎のまま。