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公式では「瀬戸内の両雄」などと表記され、ファンの間では省略して「瀬戸内」と呼ばれている。

作中にて両者が瀬戸内海を挟んで衝突を繰り返してきたとされており、

長年の因縁から公式メディアミックスやファンの間でもセット扱いされることが多くなった。

腐向けのイラストにも付けられており、

チカナリ毛長といったカップリングタグ(特に前者)よりも普及率が高い。

それゆえ併用、もしくはこちらのみが付く事が多く、一般向けと腐向けの境界が非常に曖昧である。

遍歴

初代『戦国BASARA』では両者ともNPCであるため対戦させる事もできず、全く接点は無かったが、英雄対決投票(いわゆる名ライバル投票)にてなぜか蒼紅対決に次ぐ2位の大量得票をしてしまった。

結果、『戦国BASARA2』以降は両者ともPCに格上げされ(内、元就ストーリーのラスボスは元親)、『戦国BASARA3』では両者のストーリーモードにて互いにラスボスとなっている。

戦国BASARA4』では対決の専用ムービーがある。毛利のドラマルートでは長曾我部と少し絡みがあるが、それ以外はほぼなかった。……のだが皇で瀬戸内コンビにアニメルートが追加。

瀬戸内通しの対決となった。

史実

史実について述べると、織田信長が本能寺の変で自害する少し前、

長曾我部元親長宗我部元親)は阿波を制圧し、讃岐攻略に精を出していた。

この頃には、既に毛利元就は死去しており、息子はおろか孫に当たる毛利輝元が跡を継いでいる。

つまり歴史上では、長宗我部元親毛利元就と相まみえることは不可能である。

ただし、両者の関係は全くないわけではない。

永禄10年(1567年)、土佐一条家が伊予に攻めてきた時に、

伊予守護河野氏は毛利元就に救援を求めた。

伊予河野家は村上水軍・三島水軍の主家であり、

「厳島合戦で援軍してくれた恩を返すため。」

と元就は三男の小早川隆景を主力とする小早川水軍を派遣した。

結果、毛利軍は大勝し、伊予は河野氏の手に戻る。

尚、この戦で無理に他国を攻めた挙句、

敗れた土佐一条家は勢力が大幅に低下した。

土佐一条家は長宗我部元親の父・国親が国を滅ぼされた後に世話になっており、

一条家の口出しのおかげで家が再興できたため大恩があった。

そのため、土佐統一を図る元親としては、表立って攻めるわけにはいかなかった。

しかし、毛利氏の伊予出兵後に土佐一条家内で分裂が起きると

その隙をついて調略の手をのばし、見事に一条家を内部崩壊させ、

治安維持を目的に土佐一国の統一を果たす。

よって、長宗我部元親が土佐を統一できたのは毛利元就のおかげでもある。

実際、元親は伊予出兵を表だって指揮した小早川水軍の将、村上吉継に戦勝祝いの手紙を送っている。

また、この時の縁もあり、讃岐出兵後の天正7年頃には毛利氏と長曾我部氏は

「芸土入魂」と呼ばれる伊予に対する不可侵協定を結んでおり、

天正12年に長宗我部元親が協定を破って伊予に侵攻するまで同盟は続いていた。

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