L-1011
とらいすたー
概要
ロッキード社初のジェット旅客機として開発された3発ワイドボディ機。
愛称はトライスターで、これはエンジン3基をオリオン座の「三ツ星」になぞらえたもの。
1960年代当時ロッキードはジェット旅客機の生産でボーイングやダグラスに大きく遅れており、トライスターの開発は起死回生を狙ったものだった。
特徴
ライバルのDC-10と同じように、主翼と胴体後部に合計3発のエンジンを搭載している。DC-10との最大の違いは胴体後部・第2エンジンの取り付け方式であり、DC-10が垂直尾翼を串刺しにしたようにエンジンが取り付けられているのに対し、トライスターではエンジンの吸気口を尾翼前方に配置し、途中でダクトをS字型にして胴体後部のエンジンにつなげている。見た目的には、DC-10は勇ましい感じで、トライスターは優雅なイメージである。
操縦システムでは、旅客機として初(にして唯一)となるDLC(ダイレクト・リフト・コントロール、スポイラーによる着陸時の揚力コントロールシステム。主に軍用機で採用)を採用。これにより、平常時の着陸進入においては、操縦士は操縦桿に手を触れずに機器を監視するだけでよくなった。また、エリア・ナビゲーション・システムも旅客機として初めて搭載し、これを自動操縦装置に接続することで離陸以外の操縦を完全に自動化することができた他、ILS(計器着陸装置)が整備されている空港ではDLCと併用することで滑走目視距離ゼロでの着陸も可能。
他にも、水平尾翼全体が傾く機能を付けたりと、当時としては先進的な技術をふんだんに取り入れていた。
搭載エンジンは当時としては静かなのも特徴で、ローンチカスタマーであるイースタン航空では「ウィスパーライナー(囁く旅客機)」と名付けられていた。
販売不振
ハイテク機能てんこ盛りなトライスターだが、販売面では絶不調だった。搭載するRB211エンジンの開発が遅れた(なお開発していたのは名門ロールス・ロイスだが、この開発難航のせいで経営破綻してしまい、一時期イギリス政府により国有化される憂き目にあった)ほか、客室の手荷物入れが中央席の上部にはないという悪い評判も目立った。極めつけは、発展型の開発が困難だったことである。通常、旅客機は基本型を完成させたのち、航空会社の注文を予期して胴体延長型や長距離型を開発するのがセオリーだが、トライスターでは長距離型を開発するには胴体を短くするしかないという制限があった。加えて、元々搭載量が少ない事と客室下面の構造の関係で貨物機への改造が難しかったという難点もあった。このため、販売数は伸びず生産数は250機とDC-10の半分程度に終わり、ロッキードは旅客機業界から撤退する事になる。そして・・・
ロッキード事件
トライスターはよく知らなくても、この事件は知っているひとも多いだろう。ロッキード社が全日空にトライスターを売り込むために政界をも巻き込んだ贈収賄事件を起こしたのである。結果的に関わったものは有罪判決が下されたが、全日空はトライスターを導入した。この事件のせいでトライスターの印象には影が付きまとうことになったが、全日空初のワイドボディ機として、華々しく活躍し、1974年の導入から1995年に退役するまで、1機たりとも事故を起こさなかった。全日空で導入から退役まで全機が事故を起こさなかったのはトライスターが初であり、今もなお安全性の高い航空機の一つと評されている。
全日空がロッキードを選んだわけ
全日本空輸は1970年頃から大型機の導入計画を進めており、DC-10やB747など他機と並行してL-1011の検討がされていた。その中でも本機が導入された大きな理由は、騒音問題である。当時は関西国際空港がまだなく、国内線も国内線も大阪国際空港(伊丹空港)を発着しており、騒音の大きさは住民からの訴訟に及ぶ事態になっていた。そのため静音性に優れたL-1011が選定されたのである。
この贈賄事件が理由でDC-10でなく本機が選ばれたという見方がされていることも有る。だが贈賄事件に先立ち、1972年頃にDC-10とマクドネル・ダグラスは伊丹空港での騒音測定を拒否する姿勢を見せていた。直近にエンジン脱落事故やドア脱落事故が発生していたことも合わせ、このような行動にダグラスへの全日空の不信感が高まることとなり、社内会議の末候補から外されたのである。
この全日空の懸念は1974年に現実のものとなった。この年、346名が死亡するトルコ航空981便墜落事故をDC-10は発生させている。これはダクラスが全日空向けに製造していた機体で、注文流れとなったのをトルコ航空が購入したものであった。
販売では負けたけど・・・
ロッキード社の販売網が弱かったためにDC-10との競争に負けたのだが、機体の完成度や性能ではDC-10を上回っているとする見方も強い。DC-10が構造的な欠陥を原因とする事故が多かったのに対し、トライスターではそのような事故はほとんどなく、起こした事故のほとんどが悪天候や操縦ミスによるものだった。このように、優れた性能を持ちながら販売面で失敗したために、早すぎたハイテク機といわれている。
その後
全日空ではスキャンダル発覚後も主力機として当機を全21機導入して使い続け、1986年に同社初の国際線にも就航した。1995年に後継となるボーイング777の導入により惜しまれつつも鹿児島発羽田行きのラストフライトもって全機引退した。しかもラストフライトに使用された機体は全日空初の定期国際線成田-グアムの第一便に使用された機体であり、また、トライスター通算生産数100機目の機体でもあった。また、この退役をもって全日空では初めて「(有償飛行における)事故・大破による機体の全損、及び、死傷者ゼロ」を達成した機体となった。
世界的にもDC-10に先駆ける形で退役していき、上述した理由で貨物機に転用される事もほとんどなかった。
ローンチカスタマーであるデルタ航空では長く使われたもののアメリカ同時多発テロ事件の影響もあって2001年頃に引退、イギリス空軍は早々に放出されたトライスターを買い取って空中給油機として使っていたがこれも2014年に引退。
現在世界でも現役の機体は数機しかいないが、愛好者は現在も数多い。