人物像
龍造寺家19代当主で周家の子。「肥前の熊」と言われる。
村中・水ヶ江両家を統一して勢力を拡大し、九州5カ国2島を領したが、沖田畷の戦いで島津軍に大敗し戦死した。
ちなみに、彼の部下の龍造寺四天王はメンバー構成が一風変わっており
・江里口信常
・成松信勝
・百武賢兼
・円城寺信胤
・木下昌直
の五人を指す。
……正しくは円城寺信胤と木下昌直はどちらを入れるかが諸説あったのだがいつしか併記されるようになり、それがそのままネタとして定着したというのが答え。
彼らも沖田畷の戦いで主君と運命を共にしている(木下昌直のみ生存説あり)。
信長の野望シリーズ
全国版・武将風雲録では強く、史実とは逆に島津の大名を自害に追い込むことが多い。
しかし、シリーズが進むほど大友家・島津家が強化されていき龍造寺家はかつての栄光は見る影もなくなってしまった。
ただ、武力はシリーズを通し高く評価されており、チート級の武将には及ばぬものの十分に一線級の実力を持つ(逆にいえば、武力以外は低くされることも多い)。
龍造寺四天王をはじめ部下も同様の傾向をもつため、知力の高い武将をいかに確保するかが重要となる。
ちなみにオンラインでは「肥前の熊」の名前どおり熊に乗っている。
かいこ
長い紫の髪の毛が特徴。
現在pixivにある龍造寺隆信のイラストの大半がこのイラストである。