新発田高等学校、青山学院大学文学部英米文学科卒業。
あだ名は以前飼っていた犬の「ムク」が本人に良く似ていたことから「ムクちゃん」。
サザンオールスターズとしての初期の楽曲では、作曲とともにボーカルを取っている曲がいくつか存在する。
サザンのライブでは堅実なベース演奏で目立つことは少ないが、『Computer Children』や『JUMP』などでベースソロを弾いている。
漫画やイラストも得意とし、原由子の初ソロアルバム「はらゆうこが語るひととき」、爆風スランプのデビューアルバム「よい」のジャケットは関口が描いたものである。1984年には週刊少年サンデー増刊号に4コママンガの連載を持ったこともある。
1988年頃から帽子がトレードマークとなってテレビやライブに出演する際はいつも被っている。同じくトレードマークの口ヒゲはデビュー当時から生やしているが(ただし「勝手にシンドバッド」のジャケ写はつけヒゲである)、1983年に1度だけ剃っている。この姿はサザンのシングル「東京シャッフル」のPVに残っており、2004年のPV集「ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)」に収録されている。本人曰く「ラジオの企画で桑田佳祐に無理やり剃られた」とのことだが、当の桑田は「覚えていない」ととぼけている。
1983年にエッセイ集『突然ですがキリギリス』を執筆。関口の視点で見た、サザンのエピソード集といえる。
1985年から、フジテレビの深夜番組「冗談画報」の構成を担当。
1990年にはフジテレビの宮沢りえ主演ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」に出演。本人のキャラクターによく合う、寡黙な喫茶店マスターの役だった。ドラマ内では宮沢の相談相手で、またピアノを弾くシーンも見られた。
1991年夏から1993年末にかけ、体調不良のためサザンの活動から一時期離れる。そのため、この時期に発売されたサザンのシングルである「素敵なバーディー (NO NO BIRDY)」や「エロティカ・セブン」のジャケット写真には関口の姿がない(一方、アルバム「世に万葉の花が咲くなり」の歌詞カードには関口も写されている)。
活動休止中にハーブ・オオタと出会い、以後ウクレレに傾倒してゆく。1994年末にサザンに復帰してからもサザンと平行してウクレレプレイヤーとしての活動を続けており、ウクレレをフィーチャーした作品を多くリリースしている。なお、この年に長男が誕生。
1996年には東京・目黒区の祐天寺駅近くに、念願だったウクレレとテディベアを取り揃えたショップ『のほほんベアーズ』を開店。ウクレレやフラダンスなどの教室も兼ねておりファンが訪れている。ショップでは本人が店頭にいる日もある。ちなみに上京した際、初めて住んだ町が祐天寺だったという。
2000年からは毎年8月に『UKULELE PICNIC』と称したコンサートを開催している。参加者はIWAO、ジェイク・シマブクロ、高木ブー、ペティ・ブーカ、つじあやの、ウクレレえいじなどのウクレレ奏者の他、玲葉奈、LaLLa、KONISHIKI、分山貴美子他、関口と縁のあるミュージシャンも多数参加している。また、フラダンスのコーナーやアマチュアのウクレレ演奏のコーナーもあり、朝から晩まで、ゆったりハワイ気分に浸れるイベントとなっている。
ここはグリーンウッドやぼくのマリー等アニメ作品への曲提供でも知られ、その際には青島雪男名義で作詞も行っている。
ハドソンのゲームソフト「桃太郎伝説」「桃太郎電鉄」シリーズでは、BGMの作曲を担当し、「桃太郎電鉄」には彼に似たウクレレ職人や彼の所属するグループに似た「サザンカオールスターズ」が登場している。
また、2000年にはSUPER BUTTER DOG、竹中直人と共にタワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE」のポスターに登場した。のちに竹中直人との共作『口笛とウクレレ』をリリース。
2002年には“関口和之 featuring KONISHIKI”の名義で『私の青空 〜MY BLUE HEAVEN〜』をリリース。
2005年11月6日から2009年3月までDate fmでラジオ番組『関口和之ののほほんストア』(水曜21:00-21:30 JST)のパーソナリティを務める。