1994年4月16日生まれ、父シーキングザゴールド母ペ-ジプルーフ。通算19戦8勝。
1996年デビュー、新潟3歳Sでスタート直後に逸走しかし挽回し3着になりメジロドーベル5着に先着する。デイリー杯3歳Sでメジロブライトに5馬身差で勝つ、阪神3歳牝馬Sでは4着に負けメジロドーベルにリベンジを許す。何故か佐々木厩舎から森厩舎に転厩する。
1997年はGIのNHKマイルCまで重賞4連勝するが、ローズSでキョウエイマーチと対決するも3着、エントラップメントという喉の病気にかかっていたため半年近く休養。
1998年のシルクロードSで復帰、春のGIは2戦(高松宮記念・安田記念)とも雨のため馬場が悪化し4着と10着に完敗。
1998年8月タイキシャトルと共に海外遠征、タイキシャトルが出走するジャックル・マロワ賞より1週間早いモーリス・ド・ギース賞に出走。日本馬として史上初の海外GI優勝という日本競馬界の悲願であった歴史的大快挙を達成、フランス・イギリス・日本などのメディアで大々的に取り上げられた。
その後は帰国しスプリンターズSで2着に好走タイキシャトルに先着する、翌年1999年高松宮記念でも2着し安田記念で3着。
アメリカにトレードされ数戦した後に引退し海外で繁殖入り、ダートGI2着9回のシーキングザダイヤなどを輩出する。
キョウエイマーチやメジロドーベルと共に牝馬3強と称された。
2005年6月、落雷?で永眠。