Su-17
えすゆーいちなな
フランカー登場以前に「スホーイ」と言えば、この機を指していた。
Su-7を元に新発見の可変翼を組み合わせている。
おかげでSu-7の生産設備を流用でき、開発費用や機体価格は安く抑えられた。
新型でありながら割と安価という事もあり、多くの国で採用された。
目立たないが、フランカー以上のベストセラーである。
Wikiによると採用国は25ヶ国。
Su-7に毛が生えた!
1967年、Su-17はドモデドヴォ空港での航空ショーで初めて公開された。
しかし西側関係者の反応は冷ややかだった。
『Su-7の主翼を一部を可変にしただけじゃないか!』
おおむねこのような反応だった。ただの可変翼の実験機と見られたのだ。
しかし、西側関係者のそんな思いをよそに、
この機はまったく予想外の長寿ぶりを発揮していくのである。
可変翼の効果
Su-17のベースとなったSu-7は、きつい後退角の主翼だった。
この主翼には
『高速でのノリは良いのだが、低速とくに離着陸時に不安定になりやすい』
という欠点があった。
これを解決する為に、スホーイは当時新発見だった可変翼を採用した。
高速では今までどおりの後退角、
低速ならもっと浅い後退角にすればいいのだ。
これなら離着陸はもっと安定し、高速でもノリのいい主翼になる。
まさに『いいとこ取り』である。
しかし、実際はそう簡単な事ではなかった。
可変翼にすると前進時・後退時それぞれで、機体前後のつりあいが変わってしまうのだ。
また、主翼が重いと回転させる軸も丈夫でなくてはいけない。
いざやろうとすると、問題は山積みになった。
すったもんだの議論の末、Su-7の弱点であった離着陸を改善する事に重点を置かれた。
Su-17は主翼の外側3分の2を可変翼にすることになった。
可変翼の結果
Su-17は完全な可変翼ではない。
これでは可変翼の利点を完全には生かせないが、可変翼の欠点も小さくなる。
重量も1t程度悪化しているが、空力が改善された事で総合的な性能は向上している。
この事は航続距離や離着陸によく表れている。
クリーンではSu-7と大差は無いのだが、
パイロンに増槽や兵器を装備するとSu-17が差をつけた。
また、離着陸の距離も大きく短縮された。(3割程度)
可変翼の採用は大成功だったのだ。
実用への道
Su-17の生産は、間もなく本格生産型のSu-17Mへと切り替えられた。
Su-17Mは新型エンジンに換装し、機内燃料タンクのいくつかをインテグラル式にした。
これだけでも、Su-7基本型の3割り増しの燃料搭載量になった。
燃費が改善されて、さらに出力も向上した新型エンジンとの組み合わせは効果的だった。
このエンジンは一回り小型なので、後部胴体を絞り込んで生産効率を上げた。
胴体パイロンも2ヶ所から4ヶ所に増設された。
総合的な機外の最大搭載量は4000kgにもなった。
これはMiG-27の搭載量に並ぶ。
しかも、パイロンの数が多いので搭載の自由度も高い。
地道ながらも粘り強い、改良の成果である。
こうしてSu-17は更なる改良の結果、ますます人気を集める事になるのである。
しかし、スホーイ設計局の仕事はここからが本番だったのだ。
精密攻撃対応型、Su-17M2登場
Su-17M2では機首に収めた機材を変更し、精密攻撃にも対応している。
航法システムをMiG-23と同じものに換装し、
専用のアンテナを機首下に増設したポッドに搭載した。
また測距レーダーも、高精度のレーザー測距装置に変更している。
搭載兵器にも対レーダーミサイルが加わった。
のちにレーザー誘導ミサイルにも対応している。
最初は他からのレーザー照射に頼ったものの、
のちに照準レーザー照射ポッドを携行しての攻撃にも対応した。
Su-17M2のエンジンに変更は無いが、輸出型Su-22ではエンジンを変更している。
さらなる発展型へ。Su-17M3
Su-17M3は機体外形を変更したので簡単に見分ける事ができる。
胴体のラインは複座練習機と共通となり、
コクピット後方には電子機器や燃料が納められた。
主翼パイロンの間にもパイロンが増設された。
自衛用のミサイルを搭載できる程度しか搭載できないが、かなり心強くなった。
機首も15度ほど下に曲げられ、視界が良くなった。