早川殿
はやかわどの
生涯
北条氏康の長女、北条氏政の異母姉とするのが通説であるが、出生年や生母を確定できる史料はない。
『寛政重修諸家譜』や『小田原編年録』所収系図では氏政よりも先に掲げられていることから、姉と考えられている。また、江戸時代初期に成立した『校訂松平記』にも「氏真の御前は氏政の姉にて御座候」と記されている。
一方、氏政の妹とする推測もある。氏政は天文7年(1538年)生まれで氏真と同年であるが、早川殿が氏真より年上とすれば30代半ばから4人の子を産むという高齢出産になるためである。
氏康の正室瑞渓院(今川氏親の娘)は天文6年(1537年)嫁入とされてきたため、早川殿を氏政の姉と見る場合は側室の所生ということになる。しかし、瑞渓院の嫁入は天文4年(1535年)が妥当とする見解もあり、早川殿が瑞渓院の所生という可能性もある
後北条氏と駿河の今川氏はもともと同盟関係(駿相同盟)にあったが、天文6年(1537年)に今川義元が北条氏と敵対関係にあった甲斐の武田氏と駿甲同盟を結んだことから敵対関係に入り、富士川以東をめぐる争奪戦が約10年にわたり繰り広げられていた(河東の乱)。武田・北条・今川氏の間で甲相駿三国同盟が結ばれると、早川殿はその婚姻政策の一環として天文23年(1554年)7月に今川義元の嫡子氏真(17歳)の許に嫁いだ。甲斐で記された『妙法寺記』には、輿入の行列の見事さが伝聞として記されている。伊豆と駿河の国境を流れる境川に架けられた農業用水の千貫樋は、北条氏康からの聟引出物として建設されたという伝承もある。
年次は不明ながら、早川殿は駿河時代に長女(吉良義定室)を儲けたと思われる。
永禄元年(1568年)12月、甲斐国の武田信玄が駿河侵攻を行うと、氏真とともに遠江国掛川城へ逃れた。この逃避行の際、早川殿のための乗り物(輿)を用意することもできなかったということが、北条氏康が上杉家に送った援軍要請の書状に記されている。翌年、掛川城の開城により、氏真・早川殿と長女らは伊豆国(当時)戸倉城に移った。ついで実父を頼って氏真らとともに小田原の早川へ移っており、「早川殿」の称はここから来ていると推測される。元亀元年(1570年)、長男今川範以を生む。氏真が33歳で得た嫡男である。
元亀2年(1571年)10月、父氏康が死去し、甲相同盟の復活によって氏真の駿河帰国が頓挫すると、12月に氏真とともに小田原を出奔し、浜松の徳川家康を頼った。『校訂松平記』には、北条氏政が武田信玄と結んだ際、信玄が氏真を討つべく人数を小田原に送り込んだが、これを知った早川殿が大いに腹を立て、小田原に在住していた譜代の者を集めて船を仕立て、氏真とともに白昼に小田原を退去した、との記述がある。
氏真が家康の庇護下に入ったのち、夫とともに浜松周辺で暮らしていたと思われる。天正4年(1576年)、次男品川高久を儲けた。さらに三男西尾安信、天正7年(1579年)には四男澄存を産んでいる。早川殿の動向を史料から直接うかがうことはできないが、夫と行動をともにしたとするならば天正18年(1590年)頃に京都に移り、慶長12年(1607年)11月には長男範以に先立たれる。慶長17年(1612年)には京都を離れ、江戸品川に移る。次男高久はすでに徳川秀忠に出仕していた。
慶長18年(1613年)2月15日、氏真に先立って江戸で死去した。法名・蔵春院殿天安理性。甲相駿三国同盟で成立した三組の夫婦のうち、離別を経なかったのは氏真夫妻のみである。
早川殿の死に際し、末子澄存は高野山高室院で日牌供養をおこなった。25回忌の折に澄存によって造立された墓が、高家今川氏の所領であった観泉寺(現・東京都杉並区今川二丁目)に現存している。
(日本語版Wikipediaより)
戦国大戦において
夫である今川氏真とともに今川家の武将として参戦。
見出し画像も、カードイラストがモデルになっている。
今川家特有のフェイスペイントは左右の頬と額の三角形。(3つ合わせると、実家である北条氏の家紋「三つ鱗紋」になる。)
ゲーム上では、『みんなで頑張らないと、勝てないんだからね!』(開戦前)や、『みんな、しっかりね!』(城門攻城時)という台詞から、気丈なキャラになっている。
スペックは、コスト1 武力2(Ver.1.10以前は1だった)/統率3の槍足軽で、特技は「魅力」。
自身で「バカ殿」呼ばわりしている夫だけでなく、同コスト帯の女性武将と比べても及第点のスペックになった。
持ち計略は「山津波の計」。
士気7を使い、範囲内に居る敵軍武将に対して「統率差に依存したダメージ」を与える。
素の統率が3なため、無傷で統率0状態になっている敵軍武将さえも一撃必殺が取れない。
並の威力にするなら、統率を上げる措置を取らないと厳しいだろう。
ただし、これはあくまで無傷の敵武将を相手に見立てた時の話。
ダメージを負っている低統率武将を撤退させる程度の威力は有している。
軸に使うのでなく、コスト1の槍足軽がダメージ計略という裏の手を持っていることに価値が見いだせる。
「ほんっと、バカ殿なんだから!」