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片倉小十郎(史実)

概要

実名は片倉景綱であり、小十郎という名は通称として名乗っていた。

その後、片倉氏代々の当主が踏襲して名乗るようになった。

米沢成島八幡神社の神職・片倉景重の子とされ、遠藤基信の推挙により、伊達政宗の近侍となる。

軍師としての才も発揮し、関ヶ原の戦いなどの戦では伊達氏の危機を幾度も救っている。

笛の名手としても知られている。

また、大阪夏の陣後に、真田幸村の遺児を保護したのは、同名の彼の息子である。

逸話

政宗は幼い頃、疱瘡(天然痘)を患った際出来物をかきむしって毒が右目に入ってしまった。

細胞が死滅した右眼球は眼底から垂れ下がり、その様があまりにも不気味であったため、

自分の顔を厭った政宗は人嫌いになり、他人を寄せ付けなくなってしまう。

この状況を打破するため、守役であった小十郎は政宗とその父・輝宗を説得し眼球除去を行った。

その方法は政宗の体を縛り、麻酔をかけないまま小十郎が短刀でえぐるという凄まじいものであった。

以後、政宗は出血多量に拠る高熱にうなされ、生死をさまよう事となり、

小十郎はもしこれで政宗が死んだら、守役一同自害してわびる覚悟であったと言われている。

また、その忠誠心には凄まじいものがあり、政宗より先に子を授かった時には「主君より先に子を授かってしまうとはなんたる不忠!」と産まれた子供を殺そうとしたほどだったという(主君の政宗はじめ周りが全力で止めて事無きを得たが)。

ちなみに、この時政宗がしたためた「お前生まれた息子を殺す殺す言ってるみたいだけどやめてあげなさいよ(意訳)」という内容の手紙が現存していたりする。

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