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蒲原氏徳の編集履歴

2011-12-24 09:43:39 バージョン

蒲原氏徳

かんばらうじのり

蒲原氏徳(生年不詳 - 永禄3年5月19日(1560年6月12日))は、蒲原満氏の子で戦国時代の武将。駿河国蒲原城主。

略歴

天文5年(1536年)に父満氏が死去すると家督を継ぎ、蒲原城主となる。その後、今川氏第9代当主今川義元に仕え、天文18年(1549年)の安城合戦で大将を務め戦功を上げたが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで戦死した。


戦国大戦において

今川家の武将として参戦。

見出し画像は戦国大戦のイラストがモデル。

今川家特有のフェイスペイントの位置は両頬。

台詞回りは『ま、たまには戦もよろしいでしょう』や、『さて、歌の続きでも考えましょうかね』など、少々のんびりとしたものが多い。


スペックはコスト1 武力3/統率1の槍足軽で、特技は「防柵」。

公家のような服装をしてはいるが、持ち兵種は槍足軽という近接型で、武力は「コスト1で、防柵を持つ」武将を条件にすると、蒲原は現時点で唯一の武力3を持つ。


持ち計略は「正兵の構え」。

他の武将も用いる「武力と統率を3ずつ上げる」計略なので、使うことは稀だろう。


「さて、私はのんびりと

       歌でも作りましょうかね」

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