略歴
天文5年(1536年)に父満氏が死去すると家督を継ぎ、蒲原城主となる。その後、今川氏第9代当主今川義元に仕え、天文18年(1549年)の安城合戦で大将を務め戦功を上げたが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで戦死した。
戦国大戦において
今川家の武将として参戦。
見出し画像は戦国大戦のイラストがモデル。
今川家特有のフェイスペイントの位置は両頬。
台詞回りは『ま、たまには戦もよろしいでしょう』や、『さて、歌の続きでも考えましょうかね』など、少々のんびりとしたものが多い。
スペックはコスト1 武力3/統率1の槍足軽で、特技は「防柵」。
公家のような服装をしてはいるが、持ち兵種は槍足軽という近接型で、武力は「コスト1で、防柵を持つ」武将を条件にすると、蒲原は現時点で唯一の武力3を持つ。
持ち計略は「正兵の構え」。
他の武将も用いる「武力と統率を3ずつ上げる」計略なので、使うことは稀だろう。
「さて、私はのんびりと
歌でも作りましょうかね」
余談
何故かカードには名前が「蒲原」ではなく「浦原」と誤って記載され、今のところ修正は施されていない。