梁田政綱
やなだまさつな
梁田政綱(生没年不詳)は、戦国時代の武将。
概要
簗田政綱は初めは斯波氏の家臣であったが、後に織田信長に仕え、戦功により九之坪城を与えられたとされる。永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで功績を挙げ戦後、沓掛三千貫を与えられ沓掛城主となる。羽柴秀吉、柴田勝家等と共に各地に転戦し、加賀一向一揆の鎮圧後、加賀天神山城主となる。しかし、再起した一向一揆の鎮圧に失敗、大聖寺城への退却を余儀なくされ、のちに自ら安土に蟄居した。天正七年(1579年)六月六日没と伝わる。
戦国大戦において
織田家の武将として参戦。
上の見出し画像は戦国大戦のカードイラストがモデルになっている。
台詞回りは『敵の油断を突くのだ!』(開戦前)や、『その攻め、調査した通りだ』(伏兵発覚時)など、斥候として桶狭間での功績を挙げたイメージに沿ったものが多い。
スペックはコスト1.5 武力5/統率6の槍足軽で、特技は「伏兵」。
軽いコスト、バランスのとれたスペック、「伏兵」の特技により、さまざまなデッキで無理なく編成に組める柔軟さが特徴。
かつては羽柴秀吉が統率9の「伏兵」を所持していたことで採用率が低かったが、「1570 魔王上洛す」になってから秀吉の「伏兵」が失われたことで相対的に評価が急上昇した。
持ち計略である「前線への采配」は、範囲内の味方武将に対して武力を底上げする効果。
使用者である梁田自身は範囲内に入らないが、重ね掛けが利くのが利点。
「今川軍は桶狭間にて休息中!
殿、今こそ好機です!」
余談だが、本来の表記は「簗田」(「たけかんむり」がある)のだが、こちらでは「梁田」(「たけかんむり」がない)表記になっている。