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江川卓の編集履歴2022/01/07 12:15:25 版
編集者:成増の仕事人
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概要

読売ジャイアンツ(以下巨人)の投手

その剛速球で作新学院高校時代から「怪物」と呼ばれ、数々の伝説を打ち立てた大投手。

高校卒業後、法政大学、作新学院の職員としてのアメリカ留学を経て巨人に入団するのだが、その際巨人の採った手段が、当時のドラフト交渉期限が「翌年のドラフトの前々日まで」を逆手にとって、ドラフト会議前日にドラフト外契約(1991年に廃止)を行使して入団させたことが問題視され、球界を揺るがす大騒動に発展した。江川の巨人入団を巡る一連の騒動は、今日では江川問題空白の一日事件などと呼ばれている(詳しくはこちらを参照)。

1987年に現役を引退。プロでプレーした期間は9年と決して長くはなかったものの、通算で135勝を挙げており、最多勝2回、最多奪三振3回、史上6人目の投手5冠などプロでも数々の記録を打ち立てた。

1984年のオールスターゲームでは、全パから8人連続で三振を奪い、かつて江夏豊が達成した9連続奪三振まであと一歩まで迫ったが、9人目の大石大二郎にセカンドゴロを打たれてしまい、記録達成はならなかった。

引退後は野球解説者やスポーツコメンテーターとして幅広く活動している。

入団前から引退後まで色々トラブルを起こす人ではあったが、あの野村克也をして「巨人のエースたる男」と言わしめた大投手でもある。

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