武者小路実篤
むしゃのこうじさねあつ
概要
小説家・劇作家。東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)出身。東京帝大中退。
江戸時代以来の公卿の家系にして、子爵家でもあった武者小路家の出で、1910年(明治43年)、学友でもあった志賀直哉らと文学雑誌『白樺』を創刊。のち人道主義の実践場として、1918年(大正7年)に後述の「新しき村」を建設。1951年(昭和26年)に文化勲章受章。
代表作として、小説『お目出たき人』『幸福者』『友情』『真理先生『愛と死』、戯曲『人間万歳』など。
1885年(明治18年)生で1976年(昭和51年)没、満92歳と里見弴と並ぶ長寿の小説家である。そのため、2024年現在も青空文庫の作品がない(一応、有名な作品は新潮文庫で入手できる)
人道主義(?)
武者小路実篤はよくそのように言われ、作品上に悪人を描かない比較的読みやすい作品でも知られる。一方で、彼は巷で「失恋する男を書かせたら右に出る者はいない」と言われたほど、悪意を持っていない悪に打ちのめされる主人公が非常に多かったりもする。
その一例を挙げると・・・
お目出たき人
電車ですれ違った女性を将来の婚約者と決めて積極的にアピールしていくが、世相が世相であり、本人に想いを知られることなく、金持ちの男に相手を奪われる。
友情
仲のいい片想いの女性に恋い焦がれるが、彼女が好きだったのは彼の親友(しかも自分より能力が全部上)だった。
愛と死
曲芸の得意な女性と相思相愛に。婚約直後に留学を決意するが、帰国手前で恋人がスペイン風邪にて病死する。
といった具合に、ありとあらゆるパターンを網羅している。特に『友情』は当時大ベストセラーとなり、現在でも新潮文庫の売上記録上位につけているほどである。
その他
前述の通り、1918年に宮崎県児湯郡木城町に、村落共同体「新しき村」を立ち上げる。同村は1939年(昭和14年)に当地でのダム建設に伴い、一部が埼玉県入間郡毛呂山町に移転したのを経て現在に至っている。
立ち上げの中心となった実篤が、同村に実際に居住していたのは最初の6年ほどであり、後は会費のみを納める村外会員の立場に回ったが、村民だった頃の活動はその後の実篤の執筆活動にも様々に影響を及ぼしており、今なお同村における象徴的な存在として位置づけられている。
同村の他、千葉県我孫子市や東京都調布市に居住実績を持ち、晩年の20年余りを過ごした調布市仙川の自宅は、没後の1985年(昭和60年)に「調布市武者小路実篤記念館」および「実篤公園」として一般に公開された。