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野村萬の編集履歴

2024-10-05 08:56:18 バージョン

野村萬

のむらまん

野村萬とは日本の狂言師、人間国宝、文化勲章受章者である。

概要

1930年、六世野村万蔵の長男として生まれる。現在94歳で、2024年現在は現役最高齢の狂言師である


1934年に初舞台を踏んだ。


1950年に万蔵家の跡取りの名前である『野村万之丞』を襲名し、万蔵家の跡取りとしての道を歩んだ。


1958年に登美子夫人と結婚。2004年2月に登美子夫人が死去するまで連れ添う事となる。


1959年に長男の耕介(五世野村万之丞→追贈八世野村万蔵)、1965年に次男の良介(九世野村万蔵)が誕生する。


1993年に万蔵家の当主名である『野村万蔵』を七世として襲名するが、2年後の1995年には長男の耕介(五世野村万之丞)に家督を譲る。


そして、1997年に人間国宝に認定される。その後、2000年に野村萬に改名する。


なお、長男の耕介(五世野村万之丞)は 2005年1月に満を持して野村万蔵を襲名する予定であったが、ガンの為2004年6月に亡くなり、襲名は叶わなかった


また、萬は2004年2月に妻を亡くしており、半年の間に妻と子を立て続けに亡くすというつらい経験をした


なお、万蔵の名前に関しては長男の耕介(五世野村万之丞)の遺児の太一郎がまだ中学生だった事もあり、次男の良介が九世として万蔵を襲名した(八世は耕介に追贈)。


ただ、太一郎が2015年に万蔵家を出奔したため『万之丞』の名前は良介の長男・虎之介が2017年に襲名した


なお、太一郎は耕介亡き後も叔父の良介(九世万蔵)から跡取りとして厚遇されてた事もあり、太一郎の出奔は狂言界の不思議のひとつとして扱われる事もある


そして、2019年には狂言師としては2人目となる文化勲章受章者となる


なお、前述のとおり現役狂言師の中で数少ない戦争経験者であり、2020年の新型コロナウイルスにより公演が次々と中止となり、ショックを受けるや若手に対し、能楽堂や面・装束が焼けてないんだから大丈夫と励ましたそうな....


また、芸歴90年を超える大ベテランあり、あの黒柳徹子と対等に話ができる貴重な存在でもある

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