昭和14年(1939年)度の④計画により4隻、昭和15年(1940年)度臨時軍事費で7隻、昭和16年(1941年)度艦艇製造費で4隻が計画され、1941年(昭和16年)11月までに完成予定とされた駆潜艇。 各艦は1940年(昭和15年)7月から1942年(昭和17年)1月までに竣工した。 沿岸防備を目的として建造されたため、比較的小型の艦体で外洋向けの船ではなかったが、太平洋戦争の勃発に伴う深刻な護衛艦艇の不足によって、船団護衛任務等の外洋航海も行うこととなった。 対空装備は貧弱で、計画時は高角砲1門と13 粍連装機銃1基のみである。とはいえ、従来の日本海軍の駆潜艇は機銃のみ(毘式40粍機銃)であったことを考慮すれば、高角砲の装備は大進歩とも言える。 後に、25 粍機銃などの増設が行われたものの、喪失艇のほとんどは航空攻撃によって失われている。 兵装は、三年式8糎高角砲を前甲板に配置し、後部甲板は爆雷装備となっている。
水測兵装は九三式探信儀一型、九三式水中聴音機を各1基装備、水中聴音機の区画には真水が充填された。
兵装増備は各艦によって若干の違いがあるが、1944年(昭和19年)8月の第26号駆潜艇を例にすると25 粍単装機銃が艦橋前方に1挺、煙突前方2挺、それぞれ機銃台を設けて合計3挺装備された[44]。 第23号(と第38号)では13粍連装機銃に代わって25粍単装機銃2挺が装備された。
無線兵装として特五号送信機1組、特受信機2組、超短波無線電話装置1組を装備、4艇中2艇(または司令艇となる3艇中1艇)は更に特受信機1組、中波無線電話装置1組を追加した。 電機兵装として40 kW・105 V直流ディーゼル発電機2基、1 kVA・55 V交流発電機2基を装備、75 cm探照灯1基を艦橋構造物上、羅針艦橋の後方に台を設けて設置した。 光学兵装等は九六式1.5 m測距儀1基、12 cm双眼鏡2基、九七式一型山川灯2基を装備した。
艤装
建造を容易とし、建造費を抑えるために諸装置は極力簡単にし、予備装置等も極力設置しないように努めた。 ただ、計画当時はそれぞれの担当部署の意見が強く、その徹底はできなかった。
評価
本型は性能が良く、速力(16ノット)以外は極めて好評であったが、当初の目的だった量産には向かなかった。 計画によっては、もっと速力が大きく量産に向いた艦型が設計出来たと思われる。