ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

第十三号型駆潜艇

だいじゅうさんごうがたくせんてい

第十三号型駆潜艇 (第13号型駆潜艇、だいじゅうさんごうがたくせんてい、旧字で第十三號型驅潜艇) は日本海軍の駆潜艇の艦級。 15隻が建造され、太平洋戦争によって9隻が失われた。
目次 [非表示]

概要編集

昭和14年(1939年)度の④計画により4隻、昭和15年(1940年)度臨時軍事費で7隻、昭和16年(1941年)度艦艇製造費で4隻が計画され、1941年(昭和16年)11月までに完成予定とされた駆潜艇。 各艦は1940年(昭和15年)7月から1942年(昭和17年)1月までに竣工した。 沿岸防備を目的として建造されたため、比較的小型の艦体で外洋向けの船ではなかったが、太平洋戦争の勃発に伴う深刻な護衛艦艇の不足によって、船団護衛任務等の外洋航海も行うこととなった。 対空装備は貧弱で、計画時は高角砲1門と13 粍連装機銃1基のみである。とはいえ、従来の日本海軍の駆潜艇は機銃のみ(毘式40粍機銃)であったことを考慮すれば、高角砲の装備は大進歩とも言える。 後に、25 粍機銃などの増設が行われたものの、喪失艇のほとんどは航空攻撃によって失われている。 兵装は、三年式8糎高角砲を前甲板に配置し、後部甲板は爆雷装備となっている。

水測兵装は九三式探信儀一型、九三式水中聴音機を各1基装備、水中聴音機の区画には真水が充填された。

兵装増備は各艦によって若干の違いがあるが、1944年(昭和19年)8月の第26号駆潜艇を例にすると九六式二十五粍機銃の単装型が艦橋前方に1挺、煙突前方2挺、それぞれ機銃台を設けて合計3挺装備された。 第23号(と第38号)では13粍連装機銃に代わって25粍単装機銃2挺が装備された。


無線兵装として特五号送信機1組、特受信機2組、超短波無線電話装置1組を装備、4艇中2艇(または司令艇となる3艇中1艇)は更に特受信機1組、中波無線電話装置1組を追加した。 電機兵装として40 kW・105 V直流ディーゼル発電機2基、1 kVA・55 V交流発電機2基を装備、75 cm探照灯1基を艦橋構造物上、羅針艦橋の後方に台を設けて設置した。 光学兵装等は九六式1.5 m測距儀1基、12 cm双眼鏡2基、九七式一型山川灯2基を装備した。

戦争後半には電波探信儀(レーダー)の設置も行われ、艦橋上の探照灯台前に台座を設けて二号二型電波探信儀(22号対水上電探)が設置された。


艤装

建造を容易とし、建造費を抑えるために諸装置は極力簡単にし、予備装置等も極力設置しないように努めた。 ただ、計画当時はそれぞれの担当部署の意見が強く、その徹底はできなかった。







評価編集

本型は性能が良く、速力(16ノット)以外は極めて好評であったが、当初の目的だった量産には向かなかった。 計画によっては、もっと速力が大きく量産に向いた艦型が設計出来たと思われる。

改良型として、構造を簡易化し戦時急造を考慮した第二十八号型駆潜艇や更に戦時設計を考慮した第六十号型駆潜艇が建造されたが、いずれもそれ程の工数削減は達成できず、外観や性能はほぼ第十三号型と同等である事から、公式書類上では第十三号型駆潜艇とされている。


同型艦編集

艇番号:竣工日(建造所)。本籍、所属駆潜隊。喪失、除籍。または戦後の状況。

建造所は、鶴見=鶴見製鉄造船、玉=玉造船所、大阪=大阪鉄工所、日本鋼管鶴見=日本鋼管鶴見造船所(鶴見製鉄造船が会社変更)、播磨=播磨造船所、三菱横浜=三菱重工業横濱船渠、石川島=石川島造船所。

本籍は、横須賀=横須賀鎮守府、呉=呉鎮守府、佐世保=佐世保鎮守府。


第13号:1940年7月15日竣工(鶴見)。本籍横須賀、1941年3月31日第2駆潜隊。1943年4月3日、岩手県沖にてアメリカ潜水艦ピカーレル(SS-177)の雷撃を受け沈没、5月1日除籍。

第14号:1941年3月31日竣工(玉)。本籍横須賀、第2駆潜隊。1945年7月28日、三重県尾鷲市にて、アメリカ艦載機の攻撃を受け大破擱座、11月30日除籍。後に解体。

第15号:1941年3月31日竣工(大阪)。本籍横須賀、第2駆潜隊。終戦時横須賀に所在、1945年11月30日除籍。1948年解体。

第16号:1941年4月5日竣工(日本鋼管鶴見)。本籍佐世保、1941年10月1日第21駆潜隊。1944年7月4日、父島にてアメリカ艦載機の攻撃を受け沈没、9月10日除籍。

第17号:1941年7月31日竣工(石川島)。本籍佐世保、1941年10月1日第21駆潜隊。1945年4月28日、五島列島付近でアメリカ潜水艦スプリンガー(SS-414)の雷撃により沈没、5月25日除籍。

第18号:1941年7月31日竣工(日本鋼管鶴見)。本籍佐世保、1941年10月1日第21駆潜隊。1944年12月30日、ルソン島にてアメリカ艦載機の攻撃を受け沈没。1945年3月10日除籍。

第19号:1941年9月20日竣工(播磨)。本籍呉、1942年2月1日第12駆潜隊。終戦時呉に所在。佐世保で浸水着底し、1948年解体。

第20号:1941年8月20日竣工(玉)。本籍呉、1942年2月1日第12駆潜隊。終戦時呉で修理中、1948年解体。

第21号:1941年8月20日竣工(大阪)。本籍呉、1942年2月1日第12駆潜隊。終戦時舞鶴に所在、1945年10月5日除籍。復員輸送に従事。1947年10月7日イギリスに引渡、その後解体。

第22号:1941年10月12日竣工(三菱横浜)。本籍佐世保、1942年5月15日第23駆潜隊。1944年2月19日、ニューアイルランド島にてアメリカ軍機の攻撃を受け沈没、3月30日除籍。

第23号:1941年11月15日竣工(播磨)。本籍佐世保、1942年5月15日第23駆潜隊、終戦時青島に所在、1945年10月25日除籍。復員輸送の後、1948年解体。

第24号:1941年12月20日竣工(大阪)。本籍佐世保、1942年5月15日第23駆潜隊。1944年2月17日、トラック島にてアメリカ駆逐艦バーンズ(DD-588)の砲撃を受け沈没、4月30日除籍。

第25号:1941年12月29日竣工(三菱横浜)。本籍呉、1942年5月1日第13駆潜隊。1942年7月15日、キスカ島にてアメリカ潜水艦グラニオン(SS-216)の雷撃により沈没、7月20日除籍。2006年8月にグラニオン捜索チームがソナーで残骸を発見した。

第26号:1941年12月20日竣工(日本鋼管鶴見)。本籍呉、1942年5月1日第13駆潜隊。1945年7月30日、朝鮮半島鎮海沖にて、アメリカ艦載機の攻撃を受け沈没、9月15日除籍。

第27号:1942年1月28日竣工(石川島)。本籍呉、1942年5月1日第13駆潜隊。1942年7月15日、キスカ島にてアメリカ潜水艦グラニオンの雷撃により沈没、7月20日除籍。2006年8月にグラニオン捜索チームがソナーで残骸を発見した。


関連タグ編集

第二十八号型駆潜艇  駆潜艇 海神作戦

関連記事

親記事

駆潜艇 くせんてい

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました