登録名は「由規」。
宮城県仙台市出身。仙台育英高校時代、入部当初は控え三塁手だったが、1年秋ごろに投手に転向。その後めきめきと投手としての頭角を表すようになる。
2007年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズに1位指名を受け、入団。背番号「11」。同期には大阪桐蔭の中田翔(現日本ハム)、成田高校の唐川侑己(現ロッテ)がおり、その注目度の高さから「高校ビッグ3」と呼ばれた。
2008年、高卒ルーキーながら一軍で春季キャンプを過ごしたが、2月末に左足首痛を発症[4]。当初は軽症ということでオープン戦にも登板したが結果が出ず、開幕は二軍スタート。その後はリハビリに努め、イースタン・リーグで4月13日に初登板して1回を無安打無失点。二軍では8勝を挙げて最多勝を獲得。
8月30日の対横浜戦に一軍初登板を果たしたが、2回途中6失点で降板し、プロの洗礼を浴びた(その後チームが逆転勝ちしたため勝敗付かず)。プロ入り2度目の登板となった9月6日の対巨人戦では、先発で6回を投げ、2安打3失点8奪三振の力投で一軍初勝利を挙げた。なお、この試合までヤクルトは巨人に8連敗しており、由規は巨人戦の連敗を食い止める救世主となったため「巨人キラー」になると各紙が報じた。しかし、9月14日の対巨人戦では、先発で6回を投げ、4安打3失点で負け投手となり、一軍での初黒星を喫した。また、この試合では、犠牲フライでプロ初打点を挙げている。プロ1年目は6試合に登板し、2勝1敗、防御率4.55に終わった。 1年目での投球回数は29回2/3で、2年目(2009年)以降の新人王受賞の権利(30回未満)を残していたが、これは、10月8日の対横浜戦で8回1失点と完投勝利目前という機会があった際に、完投では投球イニング30回を超えてしまい来季の新人王受賞権利を消失してしまうため、荒木大輔コーチから「完投と新人王どっちがいい?」と尋ねられたところ「新人王です!」と即答したためである。
2009年は先発ローテーションの一角として開幕を一軍で迎え、開幕二戦目の4月4日、対阪神戦で先発登板し勝利を挙げる。10代の投手が開幕カードで勝利を挙げるのは球団では金田正一以来52年ぶりとなった。4月26日の対横浜戦では、プロ入り後最速となる157km/hを計測。しかし、シーズン前半は試合中に指の豆が潰れるなどのアクシデントにも見舞われ、一軍と二軍を行き来した。シーズン後半では5勝にとどまりチームで唯一の二桁敗戦を喫した。オールスターゲームに監督推薦で初選出。しかし、選出直後に指の豆を潰して投球ができなかったことからオールスターには第2戦で代走に起用されるにとどまった。また、2009年度より森永製菓のウイダーサポート選手となっている。
2010年も開幕一軍入りし、開幕二戦目(対巨人2回戦)に登板し8回1失点の好投で初勝利を挙げる。その後は序盤に大量失点する試合が続き4連敗を喫し二軍降格した。交流戦の対オリックス戦(スカイマークスタジアム)で一軍復帰、その後は安定した投球を続ける。10月4日にまたしてもマメで登録抹消されるものの、最終的には自身初の規定投球回数に達し、12勝(9敗)、プロ入り初完封も記録しプロ入り3年目で飛躍した年となった。また、7月29日にこれまでの自己最速となる158km/hを計測、更に同年8月26日の神宮球場での対横浜戦の5回、ターメル・スレッジの打席で投じた5球目が日本人最速となる161km/hを計測し、日本人投手として初めて160km/hの壁を破ったかに見えたが、テレビ中継(フジテレビONE)では152km/hと表示されており、信憑性は極めて低いものである。