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伊良部秀輝の編集履歴

2013-01-25 08:16:20 バージョン

伊良部秀輝

いらぶひでき

伊良部秀輝(1969~2011年)とは、ロッテなどでプレーした元プロ野球選手。投手。故人。

沖縄県宮古島生まれ。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフ。のちに両親の離婚により、兵庫県尼崎市へ移住。


その後、香川県の尽誠学園高校へ進学。1987年のドラフト会議で、当時のロッテオリオンズが交渉権を獲得し、ロッテへ入団。


1993年の5月3日の西武戦(西武球場)で清原和博と対戦した際の球速158km/hは、日本人投手が日本国内の球場設置のスピードガンで計測したものとしては当時最速のものであった。


ロッテでプレーしたのち、アメリカへ渡り、ニューヨーク・ヤンキース (1997~1999)、モントリオール・エクスポズ (2000~2001)、テキサス・レンジャーズ (2002)

でプレーし、2003年に阪神タイガースに入団し、日本球界に復帰。だが、思うように成績が残せず、1年で戦力外通告を受ける。そして1度目の現役引退を表明。


その後、2005年には再び渡米し、永住権を取得。友人とともにうどん屋を開業し、実業家に転身した。同年戦線復帰し、アメリカ・ロングビーチアーマダ、日本・四国九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスを転々とし、ファイティングドッグスで2度目の引退を表明。


2008年では大阪でバーの店長を暴行した罪に問われ、現行犯逮捕。起訴処分となった。2010年にはアメリカで飲酒運転の疑いで逮捕。


2011年、ロサンゼルス郊外の自宅で首を吊った状態で見つかり、死亡が確認された。享年42。自殺とみられている。自殺の理由としては、経営していたうどん屋の不振、妻子との別居、将来に対する不安などが挙げられている。彼の死去は日米球界に衝撃を与えた。

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