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ここからは、修羅の道だ

なにをいまさら

「ここからは、修羅の道だ」とは、「鎌倉殿の13人」第44話において北条義時が弟・時房に発したセリフである。
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概要

鎌倉殿の13人」第44話「審判の日」にて北条義時が言ったセリフ。


「修羅の道」とは

仏教において、戦闘神である阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみや憎しみが絶えない世界のことを指す。一般には「修羅道」と呼ばれる。


…これを踏まえ、以下の内容をご覧頂きたい。






第44回「審判の日」あらすじ

後鳥羽上皇から新たに右大臣の役職を賜った源実朝

彼は、義時や源仲章の前で、


私は、御所を京へ移そうと思う


と宣言する。

仲章は賛同したが、実朝の父・源頼朝が築いた鎌倉武家政権を保ちたい義時は内心で反発し怒りに燃える。


一方その頃、源頼家の次男(つまり実朝の甥)である公暁は、乳母父である三浦義村によって父の死の真相を知り、北条を恨むようになる。

その時に実朝が拝賀式に参加する折に義時が実朝の太刀持ち(付き添いとして太刀を持つ役)を務めると知り、そこで義時を殺そうと企む。この計画は薄々義時や泰時などの北条家の面子に感づかれていたが、皆狙いは実朝だと思っていた。


義時はこれについて時房と話す際、


鎌倉殿には愛想が尽きた。あのお方は京へ御所を移すつもりだ

「五郎、ここからは修羅の道だ。つきあってくれるな」


実朝に失望した義時は、この計画を利用して敢えて実朝を亡き者にしようと画策したのである。時房は一瞬迷ったあと、「もちろんです」と返事をするのだった。


視聴者の反応


まあ、鎌倉殿の13人という作品を知る視聴者からすれば、上総広常謀殺事件以降、源義仲今井兼平源義高(見方によってはその婚約者大姫も)・一条忠頼藤内光澄安徳天皇平宗盛平家一門・源行家弁慶源義経藤原泰衡・工藤祐経・曽我兄弟源範頼梶原景時その息子たち阿野全成・阿野頼全・比企能員・道やせつなど比企一族・仁田忠常・一幡・源頼家善児・北条政範・畠山重保・畠山重忠・稲毛重成・平賀朝雅・和田義盛・朝比奈義秀ら和田一族が次々と非業の死を遂げる姿を見せられた挙句に、義時自ら実の父親である北条時政とその妻を流罪という憂き目に合わせた姿を見せておいて何を今更とは思うが、そう言うことは言ってはいけない。

というか本作、1話からもう既に人(しかも幼児)が殺害されるという悲劇が起こっているため、本作全体の状況で言えばもう初っ端から修羅の道なのである。修羅みが深い。


義時視点での名分

まあ、実際のところ、この回において、義時は主君にして実の甥たる源実朝を(間接的にとはいえ)抹殺するというどう足掻いても言い訳できない悪逆非道に手を染めることになる。

これまでも散々に部下や仲間、一族の者たちの血を流し続けた義時であるが、今までは仮にも流される血を少なくする為に仕方なく流してきた血であり、義時にとっては本意ではない行動であった。

しかし、今回は義時自身の意思で、後戻りできない道を選ぶという点で、本当に修羅の道待ったなしな状況なのである。

とはいうものの、「じゃあ頼家はどうなんだ」と言われると…(一応、「現職の鎌倉殿である実朝」と「生き返ったせいで追い落とされ強制隠居させられた頼家」という違いはあるが…)

だが頼家も殺されるまでの経緯が経緯であるため、こちらも言い訳が苦しくなりそうな悪逆非道と言えないでもない。


関連タグ

鎌倉殿の13人 ブラック義時 おまいう

どうする家康…第40回で家康がこれとほぼ同様の台詞を語る。

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