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マチカネタンホイザ

まちかねたんほいざ

1989年生まれの競走馬。GⅠまであと一歩及ばなかった「善戦マン」として知られる。
目次 [非表示]

※当馬をモデルとするウマ娘については「マチカネタンホイザ(ウマ娘)」を参照。


概要

日本の競走馬

主な勝ち鞍は1993年の目黒記念ダイヤモンドステークス、1994年のアメリカジョッキークラブカップ、1995年の高松宮杯(現・高松宮記念)。

GⅠまであと一歩及ばなかった「善戦マン」として知られる。


生年月日1989年5月7日
没年2013年12月7日(24歳没)
英字表記Matikanetannhauser
性別
毛色栗毛
ノーザンテースト
クリプシー
母の父アローエクスプレス
5代内のインブリードLady Angela4×3、Pharos(Fairway)5×5
競走成績32戦8勝
生涯獲得賞金5億1752万7400円
近親ハードバージウイニングチケットなど活躍馬多数

北海道平取町稲原牧場生まれ。馬主は冠名「マチカネ」で知られるホソカワミクロン社長・細川益男氏。所属は栗東トレーニングセンター伊藤雄二厩舎で、厩舎での愛称は「ハナモゲラ」。


父は説明不要の大種牡馬ノーザンテースト

母クリプシーは名牝スターロッチ(母母母)に連なる。スターロッチ牝系は優良血統で一族から多くの活躍馬を輩出しており、スターロッチの母コロナまで遡るとミホノブルボンも一族に含まれる。

デビュー前から「ノーザンテースト最後の大物」と称されながらGⅠには手が届かず、「未完の大器」と呼ばれた。


馬名は、冠名+ワーグナーオペラタンホイザー」。

カタカナ9文字以内という日本の馬名規則のためタンホイ「ザ」で止められている。

また、英字表記した場合は本来「Machikane Tannhauser」となるべきところなのだが、これもアルファベット18文字以内(スペース含む)という国際規則をオーバーするために、冠名表記を訓令式ローマ字にした上で全体を1単語扱いとし、「Matikanetannhauser」として強引に18文字に収めている。

(同様の措置は、同馬主のマチカネフクキタル=Matikanefukukitaru、などでも行われている。)


新馬~クラシック

1991年9月15日、中京競馬場芝1700m新馬戦でデビュー。6馬身差で圧勝。

いちょうステークスでは1番人気に推されるが、勝ったサンエイサンキューから0.4秒差の4着。

3戦目の府中3歳ステークスを鞍上に岡部幸雄を迎えて優勝。クラシック有力馬として地歩を固める。

満を持して初の重賞レース「朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)」へと駒を進めたのだが、ここにはあの‘サイボーグ”ミホノブルボンがいた。結局タンホイザはブルボンの後塵を拝し、4着に敗れる。そして、ここからタンホイザは善戦ホース路線に乗ってしまった。


クラシック戦線の1992年はGⅢ共同通信杯4着、GⅡスプリングステークス5着でクラシック初戦・皐月賞に挑むも、ブルボン圧勝の影で7着惨敗(これが初の掲示板外)。

続くGⅡNHK杯でナリタタイセイの2着、クラシック2戦目・日本ダービーではブルボンの無敗二冠の影で4着。秋は前哨戦のオープン特別・カシオペアステークスを2位と良い調整振りを見せ、中1週で菊花賞へと挑んだ。

レースを制したのは日本レコードを樹立した“淀に愛されしステイヤー”ライスシャワー。誰もが「無敗のブルボンまさかの三冠失敗」と「伏兵ライスシャワーの歴史的快走」にあっけにとられたこのレースで、タンホイザはひっそりと快走を見せていた。

最後の直線でブルボンを差し、激しい叩きあいの末に脅威の粘り腰で差し返されたものの、ホリスキーの持つ菊花賞レコード3分05秒4に匹敵する、ともすれば上回るタイムで走り抜けたのである。3着に終わったものの、タンホイザにとっては古馬路線に向け、大きな一歩を記したレースであった。

(ブルボンとライスのインパクトが強くてあまり目立っていないのが、らしいっちゃらしい?)


旧5歳(現4歳)

1993年は中山金杯から始動。鞍上を柴田政人に替え、57kgのハンデを背負って1番人気に推されたが8着。

鞍上を岡部に戻したダイヤモンドステークスでも57kgのハンデを背負って1番人気、今度は当時の芝3200mのJRAレコードを更新して重賞初勝利。


目黒記念では58kgのハンデを背負って1番人気、2着ライスシャワー(59kg・2番人気)に2馬身半差で雪辱を果たす完勝。


未完の大器、遂に本格化!と期待され、天皇賞(春)でもメジロマックイーン、ライスシャワーに次ぐ3番人気になるが、鬼と化したライスがマックに勝利して場内唖然とする中、3着メジロパーマーから6馬身遅れてひっそり4着。


このあとオープン特別で2勝を挙げ、ジャパンカップで15着の後、有馬記念から主戦ジョッキーを柴田善臣に変更(岡部は93年からビワハヤヒデに騎乗)。トウカイテイオー奇跡の復活勝利、ナイスネイチャ脅威の3年連続3着の影でひっそりと4位に入り、賞金を咥えて帰った。


旧6歳(現5歳)

1994年はアメリカジョッキークラブカップから始動。ステージチャンプナイスネイチャツインターボに次ぐ4番人気ながら2着フジヤマケンザンをクビ差交わして優勝。


未完の大器、今度こそ本格化!と期待され、日経賞では単勝1.8倍の1番人気に推されるが3着。天皇賞(春)は5番人気5着。京阪杯では武豊に乗り替わり2番人気に推されるが5着。 再び鞍上を善臣に戻した宝塚記念では9番人気9着(杉本清アナに「私の夢」にされてしまい、賞金を咥えて帰れなかった)。

毎日王冠は6番人気。後方から上がり最速の34.6で追い込むが5着、サクラバクシンオーにハナ差及ばず。

天皇賞(秋)は7番人気。後方から追い込み4着に入ると、未完の大器、充実の6歳秋!と期待される。


ビワハヤヒデウイニングチケット秋の天皇賞で故障、引退。この時、ナリタタイシン屈腱炎で動けず、1期前のトウカイテイオーも引退済み、同期のライバル・ライスシャワーは骨折治療中。期せずして、タンホイザは強敵不在(海外馬は除く)の状態でジャパンカップに挑むチャンスを得た。これぞ待ちに待った千載一遇の好機。だがしかし、返し馬の最中にとんでもないことが起きてしまう。


マチカネタンホイザ、鼻出血で競走除外

なんと持っていない馬だろう。哀れなりタンホイザ。しかし、彼の不幸はここでは終わらなかった。伊藤厩舎では改めて有馬記念に向けて体調を整えていくのだが…。


マチカネタンホイザ、蕁麻疹発症で出走取消

2戦連続で病気での出走回避。こうしてタンホイザの94年はなんとも悲しい終りを迎えた。

  • この蕁麻疹の原因は「飼い葉に紛れ込んだ蜘蛛を食べてしまったため」と言われているが、長らく〔要出典〕状態であった。2021年以降はデマ呼ばわりもされたが、2022年1月14日の中日スポーツの記事において、獣医師資格を持つ若原隆宏記者が当時の状況を解き明かした。それによると、タンホイザの蕁麻疹は顔面に限ったもので、厩舎社会で古くから「クモでも食べたときに出る」と言われる『クモ疹』だったことから、タンホイザを管理していた伊藤調教師が事後に「クモでも食ったんちゃうか」と発言したことを新聞各社が報じたことで広まったらしい。もっとも、タンホイザが蕁麻疹を発症した理由が本当に蜘蛛を食べたことによるものなのかは分かっていない。

だが、彼の不幸は残念ながら、ここでも終わらなかった。


旧7歳(現6歳)

1995年に入り、アメリカジョッキークラブカップからの再出発を図るが…


マチカネタンホイザ、フレグモーネを発症。長期休養へ

フレグモーネとは傷口などから皮膚に雑菌が入り込んで化膿してしまう病気。いわゆる「蜂窩織炎」である。結局、タンホイザは新年から春競馬を棒にふる羽目に。ホントに持っていない子だねぇ…。


結局、春を全休したタンホイザは、7月の高松宮杯に出走。同じく春全休から戦線復帰のヒシアマゾンが1番人気だったが、レースでは何故かスタートから逃げはじめ、折り合いを欠いて5着。そんな中、ひっそり馬場の中央を通って抜け出したタンホイザが優勝。


GⅠに届かなかった未完の大器がスーパーGⅡと言われた高松宮杯を制したわけで、実に1年半ぶりとなるマチカネタンホイザの勝利を、競馬ファンは大きな歓声で祝福した。やっぱり、みんなタンホイザのこと好きだったんだねぇ。

翌年からはGⅠ「高松宮記念」となったため、タンホイザがこのレース最後の勝ち馬となる。

(ちなみに前年の勝ち馬はナイスネイチャ。2年つづけて、善戦ホースが報われたレースになった)


しかし、いよいよ大器が!ということもなく…これが彼の最後の輝きとなった。


函館記念では1番人気ながら8着。

天皇賞(秋)は5番人気6着。ジャパンカップは11番人気12着。

中1週で挑んだステイヤーズステークスはステージチャンプと並んでトップハンデ58.5kgを背負って3番人気に推されたが、7着。


結局、最後の勝利から一度も掲示板に載ることはなく、“未完の大器”はその完成を見ぬまま、ひっそりとターフを去っていった。


生涯成績、32戦8勝(重賞4勝)。GⅠには一つも手が届かなかったもののコツコツ賞金を咥えて帰り、獲得賞金5億1752万7400円はノーザンテースト産駒ではなんと最高。馬主孝行なお馬さんだった。

引退後の馬生

一世を風靡した大種牡馬・ノーザンテーストの末期の産駒として活躍したマチカネタンホイザだったが、悲しいかな、時代は移っていた。サンデーサイレンスブライアンズタイムなどに流行が移っていく中、タンホイザは目立った活躍馬を出せなかったこともあって種付け機会に恵まれず。

種牡馬としても大きなタイトルを手にすることがないまま、2004年からは種付け頭数がゼロとなり、待兼牧場で2010年まで過ごして種牡馬を引退する。


同年、マチカネフクキタルと同じ山梨の小須田牧場に移り、功労馬として繋養され、皆に愛されながら穏やかな時を過ごす。

そして2013年12月7日、“未完の大器”は疝痛により24歳でこの世を去った。


関連タグ

競走馬 92世代


ナイスネイチャ…善戦ホース仲間

ライスシャワーミホノブルボンサクラバクシンオー…手強すぎる同期

ウイニングチケット…同厩、同牝系

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