概要
福島県の浜通り地方北部にある市で、太平洋に面する。
2006年(平成18年)1月、原町市・鹿島町・小高町が合併して成立。
データ
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面積 | 398.58km² |
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人口 | 57,659人(2022年6月1日) |
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地域自治区
原町区
原町市が成り立ちの区で、中央に位置する
1954年(昭和29年)に、原町・太田村・大甕村・高平村の1町3村が合併して原町市が誕生。
1956年(昭和31年)、石神村が編入され、現在の形となる。
鹿島区
鹿島町が成り立ちの区で、北側に位置する
1898年(明治31年)に町制施行により鹿島村が鹿島町になる
1954年(昭和29年)、鹿島町・真野村・八沢村・上真野村の1町3村が合併して、新たな鹿島町が誕生し、現在の形となる。
小高区
小高町が成り立ちの区で、南側に位置する
1898年(明治31年)に町制施行により小高村が小高町になる
1954年(昭和29年)、小高町・福浦村・金房村の1町2村が合併して、新たな小高町が誕生し、現在の形となる。
史跡
名称 | 解説 |
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桜井古墳 | 原町区に存在する前方後方墳 |
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真野古墳群 | 鹿島区に存在する前方後円墳や円墳からなる群集墳で、約120基の古墳があるとされている |
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牛越城跡 | 原町区に存在した牛越城の跡地- 築城年代不明
- 牛越上総介定綱が1445年(文安2年)に相馬高胤に滅ぼされたことで相馬氏の支配下となる
- 1602年(慶長7年)相馬義胤が領地没収され、後に再支配した際に領地没収という凶事にあった城として1603年(慶長8年)に廃城となる
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小高城跡 | 小高区に存在した小高城の跡地- 南北朝時代に築城されたとされる
- 1337年に相馬氏の支配下となり、相馬氏の居城となる
- 1597年(慶長2年)に牛越城に相馬氏が移ったが、領地没収され、後に再支配した際に再び相馬氏の居城になるが、1611年(慶長16年)に相馬氏が中村城に移ったため、廃城となった
- 現在の本丸跡には相馬小高神社が建てられ、相馬野馬追の野馬懸けの開催場所として使われている
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村上城跡 | 小高区に存在した村上城の跡地- 相馬氏によって1596年(慶長元年)御殿を建てようとしたが、前日に材料の木材が火災になったことから、不吉に感じた相馬氏は牛越城に移ることを決めた
- 本丸跡には貴布根神社が建てられた
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原町無線塔跡 | 原町区に存在した1921年(大正10年)に完成した鉄筋コンクリート製の電波塔- 尖塔高約201メートルの高さを誇り、完成当時は日本・アジア共に世界最長の高さを誇る建造物であった
- ちなみに、福島県内で建築された歴代の建物でこの高さを超えた建築物はなく、未だに記録は破られていない
-- 鉄筋コンクリート製の主柱の他に高さ60メートルの木製の副柱が400メートル離れた場所に18本建てられ、空中にアンテナ線を構築していた
- 1928年(昭和3年)に従来の木製の副柱に代わり、高さ200メートルの鉄製の副柱が500メートル離れた場所に5本建てられ、空中にアンテナ線を構築していた
-- 1923年(大正12年)に発生した関東大震災の第一報を無線通信によってアメリカに打電し、世界に伝えた
- この出来事を注目され、日本各地にラジオが普及したとされる
- 故に本塔はラジオ時代の到来の象徴(テレビ時代の到来の象徴であった東京タワーのような感じ)であった
-- 1931年(昭和6年)に廃局されたことで、鉄筋コンクリート製の主柱を除いて、すべての関係施設が解体された
- 無線塔としての役割が終わった後も旧原町市のシンボルとして君臨し続けた
- 1973年(昭和48年)に主柱のコンクリート壁の崩落が報道され、放置が出来ない状況から保存か解体かの討論が行われ、解体が決定した
- 1981年(昭和56年)から1982年(昭和57年)にかけて解体が行われた
- 主柱の跡地には、高見公園(道の駅南相馬と隣接)があり、公園内にある「無線塔跡花時計」はまさに主塔が建っていた場所に存在している
- 近隣には、原町無線塔の勇姿を求める要望によって建設された10分の1スケールの「憶・原町無線塔」がある
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原町飛行場跡 | 原町区に存在した陸軍飛行場- 1936年(昭和11年)に雲雀ヶ原臨時飛行場として開設
- 1940年(昭和15年)、熊谷飛行学校原町分教所として開場
- 1945年(昭和20年)、アメリカの攻撃により破壊された
- 跡地には正門跡、格納庫跡、航空神社である雲雀ヶ原神社があり、周辺には原町飛行場関係戦没者慰霊碑が建てられている
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朝日座 | 1923年(大正12年)に建築された建造物- 芝居小屋兼映画館として「旭座」として開館
- 1952年(昭和27年)に「朝日座」と改名
- 絶大な人気を誇ったが、テレビの台頭から人気が落ち、1991年(平成3年)に閉館
- 閉館後も年に数回アニメ映画が上映されることがあった
- 2008年(平成20年)、「朝日座を楽しむ会」が発足し、保存活動や地域コミュニティの再生の活動を開始した
- 2022年現在も施設は残っており、国登録有形文化財に指定されている
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交通
南相馬の交通は、大まかに関東方面から宮城県方面を接続するルートと中通りに接続するルートの2通りが主である。
道路
関東方面から宮城県方面を接続するルート
名称 | 解説 |
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常磐自動車道 | 三郷ICから亘理ICを結ぶ高速道路- 原町区に南相馬IC、鹿島区に南相馬鹿島スマートICが設置され、また2023年現在小高スマートICの設置も計画されている
- 加えてサービスエリアとして、鹿島区に南相馬鹿島SAがあり、南相馬鹿島スマートICが隣接している
- 南相馬市の区間では山側を通る
- 2011年度(平成23年度)に常磐富岡ICから相馬ICの区間の開通を目指していたが東日本大震災や原発事故の影響で開通延期を余儀なくされる
- 2012年(平成24年)4月8日、南相馬ICから相馬ICの区間が開通
- 2014年(平成26年)2月22日浪江ICから南相馬ICの区間が開通
- 2015年(平成27年)2月21日、南相馬鹿島SAと南相馬鹿島スマートICの運用が開始
- 同年3月1日、全線開通
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国道6号 | 東京都日本橋から宮城県仙台市を結ぶ国道- 南相馬市の道路としては常磐自動車道を除き一番の大動脈
- 南相馬市では海沿いの道路だが、1㎞から3㎞ほど海から離れている
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中通り方面に接続するルート
名称 | 解説 |
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福島県道12号原町川俣線 | 原町区から川俣町を結ぶ県道- 実質、南相馬市内唯一中通りと直通する主要道路である
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福島県道62号原町二本松線 | 原町区から二本松市を結ぶ県道…とされている- 確かに接続されてはいるが、飯舘村から原町区までの区間が一部未舗装の一車線で完全な山道となっている
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鉄道
名称 | 解説 |
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常磐線 | JR東日本管轄の東京都の上野駅から宮城県の仙台駅を結ぶ路線- 市内の駅としては原町区に原ノ町駅・磐城太田駅、鹿島区に鹿島駅、小高区に小高駅・桃内駅の5駅がある
- 1898年(明治31年)に桃内駅を除く4駅が開業
- 桃内駅のみ1944年(昭和19年)に桃内信号場として開設し、1948年(昭和23年)に駅に昇格
-- 2022年現在、原ノ町駅を除いて無人駅となっている
- 磐城太田駅と桃内駅は昭和後期に、鹿島駅と小高駅は平成後期から令和初期にかけて無人駅となっている
-- 原ノ町駅近くに原ノ町運輸区がある
- 元は1898年(明治31年)に設置された原ノ町機関庫(後の原ノ町機関区)が前身
- 3線の機関庫の他、転車台、給炭台、給水塔が設置されていたが、現存しない
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原町森林鉄道 | かつて原町営林署が運用していた森林鉄道- 主に原町区や飯館村、浪江町の山から運び出された木材を常磐線の原ノ町駅の南側にあった貯木場まで輸送する路線だった
- 常磐線を起点とする森林鉄道としては最大規模の森林鉄道だった
- 1907年(明治40年)に森林鉄道として計画されるが、一時期は車道(幅員9尺の林道)や牛馬道(幅員6尺の林道)として整備されるも。1923年(大正12年)に軌条布設が実施され、運用される
- 路線としては、馬場林道・馬場林道 鉄山支線・新田川林道・新田川林道 比曽川支線の4路線が主な路線とされている
- 1958年(昭和33年)までに路線が撤去され、翌年の1959年(昭和34年)に廃止となっている
- 森林鉄道の遺構は町側では確認できるものは皆無と思われ、山間部ではかつての橋やトンネルが残っているとされるが、そこまでに向かう山道は整備されていないため、容易に見ることはできない
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大きな出来事
2011年(平成23年度)3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生し、東北地方を災害が襲った。
南相馬も例外ではなく、地震・津波被害を受け、多くの被害を受けた。
加えて、原発事故の影響も受けることになり、故郷を追い出された人々がいた他、復興の足枷にも繋がった。
2022年現在、復興がかなり進んでいる一方、長期避難した人々は避難先で新たな生活基盤に慣れてしまい、戻らない人々も多い。
文化
浜通りの北側にある相双地方で行われる騎馬武者の祭り。
南相馬には主要な開催地がある。
祭りは7月の3日間行われ、多くの騎馬武者が活躍する。
馬は、相双地方で飼われていたり、関東からのレンタル馬が使用されており、参加する馬の中には、過去に競馬場で活躍した元競走馬もいる。
原町区にあった株式会社「木乃幡」で販売されていた凍もちをドーナツ生地で揚げた菓子。
福島県内で数店舗が置かれ、他の餅商品と共に提供されていた。
しかし、2011年の原発事故で製造工場が避難区域に指定され、危機を迎え、支援を受けて立ち直しを図ったが、売り上げ回復に至らなかったり、原発事故の補填が大幅に少なかったことから2019年に会社が倒産してしまう。
2020年、別の企業による凍天専門店「凍天処 木乃幡」が開店し、復活を遂げている。
2022年現在、直営店と加盟店が数店舗存在するが、浜通りではいわき市のみに店舗があり、過去に店舗があった南相馬には店舗は存在しないが、冷凍の凍天がいくつかの店舗で購入することが出来る。
原町区の松永乳業で生産されているアイス。
1950年代頃から販売が開始されている。
地元NPOの主催による早食い世界大会も実施されている。
※全国に同名のアイスまんじゅうが販売されていて、形状やアイスの系統が同じものが多く存在するが、直接の関係は無い
南相馬ゆかりの有名人
名称 | 解説 |
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念阿弥慈恩 | 1350年に南相馬で生まれた人物で、5歳の時に父を殺され、後に僧侶となり、修行の後に父の仇を取り、最終的に長野県阿智村に寺を建てた |
松鶴家千とせ | 1938年(昭和13年)に満州で生まれ、幼少期を南相馬で過ごし、後に漫談の中に童謡を混ぜた「わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)」で人気を博した |
関連項目
市 福島県 市町村
浜通り
相馬野馬追
シンボリクリエンス
:JRA(日本中央競馬会)に所属していた元競走馬で、引退後は南相馬市内の高校にいた時期がある
外部リンク
南相馬市