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概要

1942年昭和17年)7月16日、現在の千葉県市川市に生まれる。実家は大地主であり経済的に恵まれた環境で育つ。父親が大の車好きだったこともあり、自身も父同様の趣味に没頭していく。14歳の頃※にドイツ製の原付で実家から大阪市の母方の祖父を訪れる旅に出かけ、この体験を『がむしゃら1500キロ』のタイトルで手記に収めている。


※当時は満14歳の誕生日から原付の運転免許を取得できた(現在は満16歳)。


アメリカ留学から帰国後の1963年トヨタと契約し、翌年にレースデビュー。その後はトヨタスポーツ800で活躍し、1965年7月18日船橋サーキットで開催された全日本自動車クラブ選手権で優勝を果たした。


しかし同年8月20日鈴鹿サーキットで練習走行中にコース上にいた人を避けようとしてコース脇の水銀灯に激突。衝撃で車外へ放り出され、翌21日に脳内出血のため死去。まだ23歳の若さであった。尚、この事故の際に浮谷はシートベルトをしていなかったとされ、仮にシートベルトさえしていれば致命傷を負うこともなかったとされている。


死亡事故について

実は事故直後はまだ意識があり、「コースに人がいちゃ危なくて走れないよ」と漏らしていた。そして医師に対し検査を依頼したという。


先述の通りシートベルトをしていなかった事が命取りになってしまったのだが、実は彼が乗っていた車は、シートベルトがない普通の乗用車だった(実はこの一件の当時、普通の乗用車に関してはシートベルトの装着は義務化されておらず、装着されていないのが当たり前であった)。

そして彼のライバル兼盟友であった生沢徹は、彼の死を惜しむ一方で「シートベルトしないでサーキット走っちゃダメだろ」という主旨の発言をしている。

さらに言えば全日本自動車クラブ選手権で彼に敗れたとあるレーサーは、「あの坊や、今に大事故起こすぞ」と、例の一件を予見していたそうである。


関連タグ

レーサー 1960年代 夭折


浮谷東:浮谷東次郎をネームモデルとしたスーパーカブのキャラクター。

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