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生涯

真田幸隆の4男として1547年に誕生した。真田信昌とも称している。母は幸隆の正室・恭雲院

兄に真田信綱真田昌輝真田昌幸がいる。昌幸とは同年に生まれたため、双子とする説もある。


7歳のとき、兄・昌幸と同じく、人質として甲府に出仕する。その後、武田信玄の命により甲斐の旧族である加津野昌世の養子となり、名門・加津野氏を継ぐと「加津野信昌」と称した。


1571年、「地黄八幡」北条綱成が守る駿河・深沢城攻略に参加して綱成の旗指物(黄八幡の旗)を奪うなど武功を挙げた。1575年の長篠の戦いで長兄・次兄が討死するが、以後も真田家を継いだ兄・昌幸とともに武田家を支える。


1582年に甲州征伐で武田氏が滅亡すると、「真田信尹」に改名する。その後は兄とは別行動をとって、いち早く徳川家康に仕えた。同年9月、昌幸が家康に属したのは、信昌のあっせんによる。この後も、昌幸と徳川との仲介役をつとめている。


一時、会津の蒲生氏郷に仕え、後に徳川家へ帰参、慶長19年(1614)甲州巨摩郡に3,000石を与えられ、その後1,000石加増、合計4,000石の旗本となった。

大坂の陣の際には、家康の命により、甥にあたる真田信繁幸村)の陣を訪れ、徳川に属するよう説得するが、幸村には断られている。


信之の本家とは別に、信尹の子孫は旗本真田家として無事存続した。大坂の時点で69歳、同い年の兄・昌幸は既に亡くなっていたが、その後も長生きして1632年に86歳で没する。


創作作品

真田本家と別行動を取っていた期間が多いため、兄・昌幸と比べて影が薄い。真田家が主役の物語でも登場しないことが多い。登場する場合においても、大坂の陣で幸村の説得役として出向いたエピソードが唯一の出番と言っていいほど。

しかしながら、2016年NHK大河ドラマ「真田丸」(後述)にて地味ながら頻繁に登場し活躍が描かれたため、知名度が大幅に向上した。


真田丸(大河ドラマ)

演:栗原英雄

史実と異なり、最初から真田家の家臣として登場。主人公・真田信繁(堺雅人)の叔父で、知略に長けた兄・昌幸(草刈正雄)の命を受けて、北条や上杉との間でさまざまな策略に暗躍する。

兄と真田家を陰から支える人物で、兄とは以心伝心、ときには汚れ役も担う。その「当主・御家・兄の為に尽くす弟」という姿は、信繁にとっての理想像であるが、信尹自身は信繁に対し「儂のようにはなるな」と忠告する。



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