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蒲生氏郷

がもううじさと

近江と会津の戦国武将。
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戦国時代にいた滋賀(近江)・福島戦国武将

生涯

弘治2年(1556年)、六角氏に仕える蒲生賢秀の三男(嫡男)・鶴千代として生まれた。
永禄11年(1568年)、六角義賢が上洛を目指す織田信長に倒され、賢秀は信長に臣従し、鶴千代は人質として岐阜に送られた。鶴千代と対面した信長は「目付常ならず、只者にては有るべからず」と述べ、冬姫と許婚に決めたほど気に入ったという。
元服して「忠三郎賦秀」と名乗り、伊勢での北畠具教との戦いで初陣を果たし、姉川の戦い長篠の戦いなどの合戦に従軍。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、小牧・長久手の戦い九州征伐小田原攻めなどの合戦に参陣。天正16年(1588年)、伊勢(三重)に居城の松坂を築いた。この前後に名を「氏郷」に改めた。
信長とともに秀吉も氏郷の才能を認めていたが、逆にその実力を恐れていた。天正18年(1590年)、東北伊達政宗を監視する理由で会津へ加増移封された。政宗と対立しながらも、商人や職人を集めて殖産興業を伸ばして街作りに努め、自らの幼名からとった鶴ヶ城を築いた。
文禄元年(1592年)、朝鮮出兵のため名護屋まで出陣したが体調を崩し、文禄4年2月7日(1595年)に京都伏見で亡くなった。享年40歳。政宗や石田三成直江兼続などによる毒殺説もあるが、実際は直腸か膵臓の癌による病死とされている。
この後、蒲生家は宇都宮へ、会津には上杉景勝が移つされた。

人物

茶道に興味を示し、千利休の高弟の一人にも数えられた。同じ利休の高弟であるキリシタン大名の高山右近と親交があったため、キリスト教に帰依し、洗礼名「レオン」を持っていた。
話好きで、怪談や武辺談話を好んだという。家臣を大事にしていたが、気に入った家臣に蒲生姓をやたら与えていたため、家中に蒲生姓の家臣が乱発していた。
戦場ではナマズの尾の形をした長いを被ったと言われ、自ら戦陣に立って活躍したという。

関連イラスト

蒲生氏郷【織田家】


殿といっしょ

蒲生さんの暑中お見舞い 夏なので
蒲生さん



関連タグ

日本史 戦国時代 安土桃山時代 戦国武将 キリシタン
へうげもの 殿といっしょ
蒲生賢秀 六角義賢 織田信長 冬姫 山科勝成 北畠具教 豊臣秀吉 伊達政宗 石田三成 直江兼続 上杉景勝 千利休 高山右近 古田織部

戦国無双・・・彼が身につけていた兜が一般武将のデザインで使われている。

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