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曖昧さ回避

scratch(プログラミング言語)では「Follow for follow」の略で使われている。

ここでは、戦闘機のほうを紹介する。

概要

開発経緯

1936年、アメリカ海軍はブリュースター社、セバスキー社、グラマン社に新型艦上戦闘機の競争試作を指示した。グラマン社の最初の設計案は複葉機「XF4F-1」であったが他社の案に競争力で劣っていたため、1936年、「XF4F-1」を単葉機にした「XF4F-2」で海軍と再度の設計契約を結んだ。

競争試作の結果、ブリュースターF2Aバッファローが採用となり、グラマンの試作は採用されなかった。しかし海軍は「XF4F-2」にも興味を持ち、1938年に再契約を結び開発を続行させた。

グラマン社は「XF4F-2」に大規模な改修を行ない、2段2速の過給機を装備したP&W社製R-1830-76「ツイン・ワスプ」(空冷複列星型14気筒)エンジンを搭載、2枚プロペラから3枚プロペラに交換した「XF4F-3」が1939年2月12日初飛行した。その後の試験で判明した不具合を改善した結果、海軍は1939年8月に「F4F-3」として制式採用し54機を発注した。


「F4F-3」を改良した「F4F-3A」は、エンジンが1段2速過給のR-1830-90に換装され、高高度性能が低下してパイロットから不評だった。

1942年、エンジンを2段2速過給のR-1830-86に換装し、主翼の折り畳み機構を装備した「F4F-4」が採用され、本格的な量産態勢に入った。


活躍

F4Fがアメリカ海軍に制式採用された頃、ヨーロッパでは戦争への不安が高まっていた。

F4Fにはフランスやギリシャからの発注があったが、それぞれF4F到着前に枢軸側に降伏したため、イギリス海軍で「マートレット」として運用される事となった。1944年以降、マートレットは「ワイルドキャット」に名称変更された。


一般の印象に反し実際のところ緒戦に於いて零式艦上戦闘機と本格的に戦闘を行ったことはなく、ウェーク島での小規模な物があった程度である。

開戦数カ月後の珊瑚海海戦ミッドウェー開戦では両軍の戦果を突き合わせても零戦とは互角の戦いを繰り広げており、零戦に圧倒されていた時期というのは存在しなかったりする。

特に開戦後半年程度の間運用されていたF4F-3は、ずんぐりとした見た目に反して軽快な運動性能と良好な速度性能を発揮する優秀なドッグファイターであり、旋回性能については零戦に劣後するものの、総合的に見れば互角の戦闘力を発揮する事ができた。


加えて無線機が使い物にならず、第一次大戦以来の旧態依然とした戦術を使わざるを得なかった零戦に対し、F4Fは信頼性の高い無線機を備えており、編隊間で顕密な連携を取り、また空母や地上基地のレーダーサイトの情報を適宜提供されていた。


F4Fの鈍重なイメージはミッドウェー海戦でデビューしたF4F-4のものであると考えられる。

この機体は非常に大胆な折りたたみ機能と、機銃や防弾設備の増設によって非常に鈍重になった。

その代わり空母一隻あたりの搭載数が倍になった。


またジョン・サッチ少佐が戦前から検討していた(巷で言われているように零戦のために考案したわけではない)「ビーム・ディフェンス・ポジション」が「サッチ・ウィーブ」として導入され、部隊としての戦闘力は更に向上している。


F6Fなどが主力となった中期以降も改良が進み、大型艦載機の運用が困難な護衛空母で運用されるなど、第二次大戦の全期間で最前線にあった。

最終的なキルレートは7(零戦):1(F4F)と言われ、「零戦に手も足も出なかった低性能機」というわけではない。

ただしこのキルレートはアメリカ軍の調査によるものであり、戦争後期の錬度の劣る日本軍パイロットとの対戦も含むので、零戦も「F4Fに手も足も出なかった低性能機」というわけではない。


ジョン・サッチ少佐:「ベテランパイロットにとっては良い飛行機だが、そんなパイロットがいなくなったら命運は尽きるだろう」(アクタン島で鹵獲された零戦に試乗した感想)


GM社による生産

1942年春、グラマン社はF6Fの生産に集中する事になり、F4FとTBFの生産ラインはゼネラルモータース社の航空事業部「イースタン・エアクラフト」に移された。

GM製のF4Fは型式名が「FM」となり、最初の量産型である「FM-1」は、ほとんど「F4F-4」そのものであった。

1943年、「FM-2」の量産が開始された。FM-2は「XF4F-8」としてグラマンで開発されたモデルで、護衛空母での運用に最適化するために軽量化が図られていた。

エンジンはライト社製R-1820-56「サイクロン9」(空冷単列星型9気筒)に換装された。過給機は1段2速となったが、R-1830-86よりも単体で102kg軽く、出力が150馬力大きい。機体も徹底した設計見直しが行われている。

高々度を新鋭機に任せて性能を割り切り、上昇力、運動性は向上し、低高度域では新型機に大きく劣るものではないと評価された。

FM-2はシリーズ最多生産モデルとなった。


外部リンク

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