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土方歳三の編集履歴

2017-01-22 21:18:50 バージョン

土方歳三

ひじかたとしぞう

新撰組副長。幕末の剣豪。

漫画「ドリフターズ」の登場人物についてはこちらを参照。


概要

天保6年5月5日(1835年5月31日) 武蔵国多摩郡石田村生まれ。

農家を営む土方隼人と恵津の間に生まれ、10人兄弟の末っ子であった。

父親の隼人は歳三の生まれる3ヶ月前に結核で亡くなり、母親の恵津も結核で歳三が6歳の時に亡くなる。その後は次兄夫婦に育てられた(長兄は失明していたため)。


幼少の頃は顔に似合わぬ暴れん坊で、「バラガキ」(茨のようなトゲがある乱暴な子、の意)と呼ばれた。

幕末の風潮のなか、近藤勇と共に武士になることを夢見て浪士組として京都に入る。その後京都に残り、会津藩預かりの壬生浪士組を結成。後に近藤を局長とする新撰組を結成、土方はその副長となって近藤を支える。局中法度と呼ばれる「背くものは切腹」という厳しい規則で統制したのも土方の主導。

鬼の副長」とまで言われた。


しかし維新の流れは幕府に味方せず、鳥羽・伏見の戦いで敗れて以降は江戸に落ちのび再起を図るが、功をそうせず近藤は新政府軍に投降、斬首させられる。土方はその後も江戸から宇都宮会津を経て榎本武揚率いる脱走艦隊に合流、箱館(現函館)入りし、箱館政庁の陸軍奉行並に就任する。

翌年の明治政府軍との五稜郭の戦いで壮絶な戦死を遂げる。


箱館戦争の頃は、ほとんど新撰組を直接に指揮しておらず(前述のように陸軍奉行並の幹部だったので)、新撰組における最終階級も副長のままだったが、彼の戦死をもって新撰組は事実上終了したと認識されている(その後も僅かに敗戦処理に近い形で残っていた)。


歴史的評価、人気

新撰組が京都の治安を守る警備組織であったにも関わらず、薩摩・長州などの有望な志士たちを多く殺害・捕縛したために明治維新の後は幕府の過激派と見られるようになり、土方自身も副長時代の鬼の如き厳しさから、長らく悪役という汚名が付いて回った。

だが、司馬遼太郎の「燃えよ剣」でようやくそれらのイメージを払拭し、現代では明治維新の人物内でも人気は上位にくるほどである。NHK大河ドラマ「新選組!」は最終回、主人公である近藤の処刑によって幕を閉じるが、土方の最期も描いてほしいという視聴者の要望が殺到した為、本編終了の約1年後、スペシャル版として「新選組!! 土方歳三 最期の一日」が放映されている。更に大河及びスペシャル版で土方を演じた山本耕史連続テレビ小説あさが来た』第3週目(10月12日~)は新撰組参上!」にて再び土方役として出演した。


「新政府軍=新しい正義、旧徳川幕府=古臭い悪」という図式で、刀を振り回す古臭い武士が新政府軍に敗れたイメージから、新撰組は古臭い代名詞ともされかねないが、実際土方は鳥羽伏見の戦いなどの流れで、火縄銃でなく、これからは洋式鉄砲の時代であることを正確に認識しており、勝てるのであれば例え敵の技術であっても積極的に取り入れる徹底した合理主義者であった。


宇都宮の戦い以降などの指揮では新撰組のダンピラでなく、洋式軍服をまとい(現在でも写真に残っているそれである)、近代的軍事指揮官として箱館戦争において、二股口を守り、新政府軍相手に戦術的には負けなかったことからも、前線での戦闘指揮に関しては何をやらせても天賦の才を発揮したと言える。

この時の様子を司馬遼太郎の「燃えよ剣」では「薩長は天下を取ったが二股は取れぬ」と言わしめたもので、実際そう言ったという記録はないが、それに近い戦果を挙げていたのは事実である。

しかし彼一人では戦局全体を変えることは出来ず、他戦域の味方が後退したことから、二股口を不敗のまま明け渡すことになった。


最後は敵中に孤立した味方を救うべく無謀とも言える出撃をし、銃弾を浴びて死亡。

函館軍最高幹部の中では唯一の戦死者となったが、土方はかねてから「新政府に投降したら、死んだ近藤に申し訳が立たない」と度々発言しており、いわゆる「死に場所」を求めていたのは周知の事実であった。

薄桜鬼における土方歳三

薄桜鬼ふくちょうううう

右は新選組の羽織を着た姿(紫の着物を着た長髪の人物)、左は洋装時の姿

CV三木眞一郎

新選組副長として自他に厳しく隊士達からは鬼の副長と呼ばれている。

しかし鬼として演じているのは新選組の為に振舞っている為、気苦労を知る人物達は数少ない。

沢庵が好物。酒はあまり得意ではないが本人曰く呑まないだけらしい。

ゲーム本編、劇場版では生き残ったがアニメ版では宿敵である風間千景と戦い勝利するも銃弾を浴びたことによる傷が致命傷となりヒロインである雪村千鶴の膝枕にて安らかな眠りについた。


土方歳三の生存説

リンク

https://www.youtube.com/watch?v=p6wGouCKdlg




人物

美少年として有名な沖田総司の実際の肖像画※が、かなり残念なことになってるのに比べて、土方の写真の姿は現在の基準から言ってもかなりの美男子であり、当然ながら存命時もかなり女性にもてており、

故郷に送った手紙でそれを自慢する一面も見せている。


また俳句を嗜む一面を見せているが、こちらはそれほどの才能は見せなかったようだ。


※但しこの肖像画はフィクションと現実のギャップを強調するために沖田総司の姉のみつの孫である要の肖像画を沖田総司と偽って掲載されているものである。沖田総司の項目を参照


愛刀

和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)、堀川国広(ほりかわくにひろ)

大和守源秀国(やまとのかみみなもとのひでくに)、葵御紋康継(あおいごもんやすつぐ)

兼定【茶石地】(かねさだ【ちゃいしじ】)


関連タグ

日本史 幕末 新撰組 近藤勇 沖田総司 剣豪 荒木飛呂彦 イケメン



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