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幕末京都で活躍した、実在の人物。

新撰組一番隊隊長。類い稀なる剣の天才でありながらも身が病弱であり、20代の若さで夭折したその史実の生涯からしばしば創作キャラの元ネタにされる。

キャラクターごとの個別のタグは後述の『創作作品での沖田総司』を参照のこと。


概要

本名は沖田総司。幼名は惣次郎。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良。

1842年あるいは1844年(1842年の方が有力説)、陸奥白河藩足軽・沖田勝次郎とミキの長男として、白河藩の下屋敷(東京都港区元麻布)で生まれる。上にはみつとキンという二人の姉がいた。

両親は幼い頃に死去、その後沖田家は、長女のみつが林太郎(後の新徴組隊士)を婿養子に迎えて相続している。

4歳〜9歳まで多摩日野で暮らす。よく、井上源三郎(後の新撰組六番隊組長)と多摩川に行き、魚を釣ってきては囲炉裏で焼いて食べていたという。(井上源三郎資料館の解説による)

幼年期(家伝によれば9歳)より江戸試衛館にて天然理心流剣術を学ぶ。当時から近藤勇土方歳三とは同門であった。

20歳の時は既に免許皆伝に達しており、近藤が天然理心流宗家を継ぐと塾頭を務めた。


文久3年(1863年)2月、試衛館の面々らと共に浪士組に参加し上洛。この頃名を宗次郎から総司に改名している。そのまま京に留まり壬生浪士組(後の新撰組)を結成。副長助勤を務めた。

力士殺傷事件、内山彦次郎暗殺、芹沢鴨暗殺、池田屋事件など初期の主な事件のほぼ全てに関わっている。また脱走した山南敬助捕縛・介錯の他、いくつかの脱走者の粛清を務めたとされる。

 

一方、当時では不治の病とされた結核にも感染していた。

『新選組始末記』(子母澤寛)によると、池田屋事件にて2階でひとり奮闘していたものの、その最中に肺結核ともいわれる発作に見舞われ戦闘不能となってしまった……と言われているが、実際は熱中症によって倒れたと思われる。

具体的な発病時期には諸説あるが少なくとも慶応3年(1867年)以降には病状が悪化したとされ、その後、第一線で活躍することは無かった。



慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いでは先日に御陵衛士に襲撃された近藤とともに大阪で療養しており不参戦。

その後江戸に後送されてからは、幕府典医の松本良順のもとで治療を受ける。

新撰組が甲陽鎮撫隊と改称し甲府へ向かう際、途中故郷の日野まで同行し見送った。これが近藤との最後の別れとなる。

その後江戸へ引き返し、千駄ヶ谷の植木屋の離れを借りて療養生活を送る。

 

近藤勇斬首から約2ヵ月後の5月30日(1868年7月19日)、病に侵される形で死去。最後まで近藤の死を知ることなくこの世を去った。

享年27歳(諸説あり)。


墓は東京都港区元麻布の一向山専称寺にある。一般の人は普段立ち入る事が出来ないので、年に一度(毎年7月)沖田総司忌が行われている。


人物

剣豪揃いで知られる新撰組の中においても随一の剣の使い手と名高く、芹沢鴨亡き後の名簿では常に組頭格筆頭の位置にいた。

また近藤勇から天然理心流の5代目宗家に指名されている(試衛館に戻ることなく死去したため実現しなかった)。

刺突を特に得意とし、通常ならば数人斬った所で刃こぼれするはずの刀で何人も打ち倒したと言う。

有名な技は「三段突き」だが、「踏み込みの音が一度しか聞こえないが、その間に三度も突いていた」「顔・喉・腹の順で突く技だった」「突く・引く・突くという技だった」など諸説あり、詳細は不明。


剣術家による考察と実演


剣の腕に関しては、敵味方問わず新撰組に批判的な人物や敵対した御陵衛士の人物でさえも、一様に「強かった」と証言している。


子供好きで、よく冗談を言って笑っているような明るい性格だったと伝わっている一方、敵には一切の容赦がなく、一番隊隊長と共に任命された撃剣師範となった際もその教え方は荒っぽく叱ったりするなど、剣の稽古場においては非常に厳しかったそうだ。

「ハンドルを握ると性格が変わる」ならぬ、「刀を握ると性格が変わる」二面性のある人物だったようだ。


容貌

新撰組をテーマにした創作中では美青年美少年として描かれることが多い。

「愛想が良い」「良く笑っている」などの人当たりの良さをよく評されたこと、そして若き天才剣士が労咳で夭折してしまうというドラマ性が「薄幸の美青年説」へと繋がったとされる。

(その他にも70年代の映画『沖田総司』で当時二枚目俳優として名高い草刈正雄が演じていた影響もある。ちなみに、草刈氏はこの後1977年に放送された『新選組始末記』でも沖田役を演じている。)


沖田総司の写真といわれるものがあるが、実はあれらは全て偽物である。肖像画はミツの子孫である要のもの。本物の写真はあったらしいのだが、引越しの時に誤って処分してしまったという。

別人の写真などの影響から「色黒のヒラメ顔」だったという説がある。ただし「総司=ヒラメ顔」説は、佐藤彦五郎の曾孫がテレビで谷春雄の話にのってつい口走ってしまったのが始まりとされ、谷は「総司がヒラメ顔」というのは「のっぺらぼうという意味ではなくて、一族や兄弟の写真がみな目の間隔が寄っているから」と話している。

子孫の沖田哲也氏はこの説を完全に否定し、沖田家においては総司の容姿について「色の白い、背の小さい男だった」という風に伝わっているとのこと。


愛刀

菊一文字を所有していたとされているが、これは司馬遼太郎の創作である。実際に所有していたのは加州清光大和守安定だという説もあるが、これはブラウザゲーム「刀剣乱舞」から一気に広まったもので、これも第一資料が見つかっておらず信憑性に乏しい(なお実際に大和守安定と加州清光の大小を持っていたのは沖田の部下の新撰組一番隊大石鍬次郎である)。「三段突き」を振るったその愛刀は、現代の新撰組の研究者達からしても未だ「わかっておりません」というのが現時点においての公式見解である。


創作作品での沖田総司

映画ドラマ小説アニメ漫画などの創作において頻繁に、美少年美青年二枚目として描かれている。

昭和40年代に司馬遼太郎の小説「新選組血風録」「燃えよ剣」が人気を博したほか、つかこうへいによる戯曲「幕末純情伝」では沖田を女性に設定した。つかこうへいによる脚色以後も、沖田総司を男装の麗人として扱う作品は多い。

その一方で、奇抜な容姿で描かれる作品もまた多い。ゲーム「龍が如く維新!」では真島吾朗が沖田役として登場、自らを「美少年」と称し返り血で赤黒く染まった羽織で強烈なインパクトのあるキャラクターとなっている。漫画「JIN」では、あの例の肖像画の下膨れの顔を忠実に再現、機械いじりに没頭するオタクの一面を持つ凄腕の剣客として描かれている。


僅かな期間ながらも後世に強い印象を残したその生涯もあり、幕末の京都を舞台としたフィクションにおいては、この人物をモデルとしたキャラクターがかなり高い確率で登場している。



実写・ドラマ

センシティブな作品


沖田総司、土方歳三(燃えよ剣)


漫画

ピスメ沖田【返り血有】沖田総司


新撰組一番隊組長・沖田沖田さん



沖田総司照


ちるらんの沖田総司


ゲーム

【遙か5】沖田総司沖田総司


女性。

おきたん


沖田洋装


ソウちん


総司♥


【モンスト】薄幸の天才剣士 沖田総司


女性。

桜セイバー浅葱の羽織袴


沖田総司


【龍が如く維新!】発売おめでとう!返り血に染まる最強の男


沖田


ER沖田総司さんをもらってしまった記念



沖田総司をモデル・元ネタとするキャラクター

寒椿瀬田宗次郎


沖田さん〜〜さぼり中


無題





(総紫以外の登場人物の大半が女性だが総紫のみ男性(ただし男の娘)である)





関連タグ

幕末 新撰組 新選組 剣豪 天然理心流

結核 近藤勇 土方歳三 沖田みつ

加州清光 大和守安定 菊一文字則宗:愛刀達。ただし菊一文字に関しては確証できる史料はない。


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