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ヴァイキングの編集履歴

2019-11-23 17:10:12 バージョン

ヴァイキング

ゔぁいきんぐ

中世ヨーロッパに北欧を中心に出現した武装集団。中世時代に活躍しており、ヨーロッパ各地で恐れられた存在である。

概要

中世ヨーロッパの9世紀から北欧東欧などの北極圏を中心にヨーロッパ沿岸部を侵略した武装集団で、海賊の一類とされる。

英語では"Viking"、ドイツ語では"Wikinge"、古ノルド語では"víkingr"で、古ノルド語で「入り江(vík)に住む者(-ingr)」の意味となる。

北方ゲルマン人の多くがこれに当たり、世界史に言う”ゲルマン民族の大移動”にヴァイキングの侵略行為も含まれている。


現代に至るヴァイキングのイメージと言えば、野蛮な戦闘集団で、略奪と殺戮を繰り返した、というのが一般的だが、実際には略奪だけでなく、農業や漁業、交易商業、手工業など多岐にわたる職業をこなし、時には東ローマ帝国ビザンツ帝国)の傭兵も請け負った。基本的にヴァイキング達の本業は農業や漁業であり、戦争が始まると出稼ぎのような形で傭兵となって参戦したり、農閑期の副業として海賊をやる場合も多かった。無論、傭兵稼業に特化した戦闘集団も多数存在しており、治安維持のために王室に雇われたり、軍団として召し抱えられる者も存在した。

ヴァイキングたちが操る帆船はヴァイキング船と呼ばれており、船底が浅く重量もかるいことから海はもとより川も渡ることが可能であり、広大な領域を航行することが出来た。ヴァイキング達の優れた航海技術も相まって、ヴァイキング船はヨーロッパ各地を縦横無尽に蹂躙することになった。

なぜ彼らがヨーロッパに襲撃を繰り返したかは様々な説があり、人口増加による生存領域の拡大、暖かい土地を求めての南下などの要因が絡んでいたとされている。

彼らの活動領域はヨーロッパ沿岸部だけでなく、川を遡った欧州内陸地や中近東、さらにはコロンブスよりも先に北米大陸にも到達していた。

やがて彼らはヨーロッパの各地に住み着き、自分たちの国を興す。フランスのノルマンディー地方、シチリア、ルーシ(ロシア)などがその代表で、最終的にはイングランドの征服(ノルマン・コンクエスト)によって入植、征服活動は終わりを告げる。


やがてキリスト教文化が浸透していくにつれて彼らの独自文化も薄らいでいき、他の欧州圏と同じように変化し、ヴァイキング達の文化・生活様式は廃れていった。


文化

ローマ帝国の滅亡によって文化・教養レベルが著しく衰退した当時のヨーロッパにおいては優れた冶金技術・航海術・手工業を有した技術集団であった。先述のように交易商人として各地で商いをしていたのも、ヴァイキング達が当時ヨーロッパ最高峰の造船技術と航海術を有していたからである。

信仰としては北欧神話に代表されるような北欧古来の神々を信ずるものが多く、種類としては多神教に類するものであった。戦闘民族らしく戦うことこそが神々に認められる道であると信じられており、死をも恐れぬヴァイキング達の精神的土壌となったのは想像に難くない。ヴァイキングの世界は全体的に男性原理の社会であり、優しい者や争いを好まぬ者は軽蔑されるのが常であった。法律も各地によってバラバラであり、復讐というものがある種の抑止力として機能していたことから、とかく復讐を行う話が多く残っている。

文字はルーン文字が使われていたが、ヴァイキング達の識字率は決して高くは無く、彼らの物語の多くは口伝として後世に伝えられた。それらはサガと呼ばれており、ヴァイキング達の子孫に連綿と受け継がれていった。


ステレオタイプなヴァイキングのイメージとして、「毛皮のベストと鎖帷子を着込み角の生えた兜を被り、戦斧を携えている」というものがあるが、実際はヴァイキング戦士の装備にそこまで明確な個性はなく、角の生えた兜に至ってはごく一部の部族で使用されていた程度であった。


関連タグ

北欧神話・・・独自の神話

ゲルマン人 ケルト人


ヴィンランド・サガ ヴァルキリーアナトミア


ガラルニャースニャイキング - ヴァイキングをモチーフとしたポケモン

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