人物
1945年生、東京都出身。
1968年に東映に入社。
「がんばれ!!ロボコン」でサブプロデューサーとして特撮に関わり始める。
1970年代後半、いわゆる「長浜ロマンロボシリーズ」でプロデューサーを務める。ここで得たノウハウが、80年代に手がけたスーパー戦隊シリーズに注ぎ込まれた。とりわけ脚本家・曽田博久、キャラクターデザイナー・出渕裕と組んだ『超電子バイオマン』『電撃戦隊チェンジマン』『超新星フラッシュマン』は斬新的なクリーチャーデザインや重厚なドラマで、シリーズの転回点となった。長石多可男、井上敏樹、荒川稔久、佛田洋らの気鋭を積極的に起用したのも鈴木の功績である。
「オーレンジャー」以降は昇進してテレビ部の統括的な立場になったため現場を離れており、現在は役員としての仕事が主で専務や常務も務めた。但し様々な状況でその後も何度か現場に一時的に戻ったことはある。
2016年より顧問兼テレビ事業部門エグゼクティブ・プロデューサー。
近年の、CGを多用化した特撮が増えている事には「リアリティーを感じなくなってしまう」と不安を募らせており、それ故にスーパー戦隊シリーズにおいては常にミニチェアを使った特撮を徹底している。それは後輩たちに対するの教義になっているが、「ミニチェア制作に手間とお金がかかる」とも語っており、それでもミニチェアを使った特撮を捨てたくないという思いから、近年は自身がかつてプロデューサーを務めた『アクマイザー3』(メインイラスト)での経験を反映し、戦隊メンバー以外のレギュラー俳優を雇う予算を制約する方向にある模様。尤も、実際に『アクマイザー3』の予算は本当に仮面ライダーの半分以下だったと本人も証言している。